Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます。

仏教の解説も発達的な視点から見ていることに気づいた

最近やたらと仏教系の解説とかマンガとか見ています。

 

このページを読んでなるほど、と思ったことがいくつかあります。

 

仏様のお話

http://shusse-kannon.life.coocan.jp/budda/index.htm

 

 

この中の、

 

悟りへの道「十二因縁」

http://shusse-kannon.life.coocan.jp/budda/budda5.htm

 

 を読むと、「十二因縁」なんかは、完全に発達的なとらえ方ですね。

面白いのが、「十二因縁」を「外縁起」と「内縁起」に分けていることです。

「外縁起」は、人の発生と一生の流れと解釈することができますし、「内縁起」は人の認知や感情の発達と解釈することができます。

 

また、「順観(じゅんかん)・逆観(ぎゃっかん)」も、似た考えが発達、臨床にはあって、エリクソンの心理社会的危機はどちらかというと「順観」に似た考え方で、フロイトの固着は「逆観」に似た考え方なのかなと感じました。

 

 

さらに、「十二因縁」を自分の人生や自分のあり方に生かしていく必要性も説かれています。

 

 

十界

http://shusse-kannon.life.coocan.jp/budda/budda7.htm

 

に関しては、地獄界から仏界までが解説されています。

十界は実際の世界の成り立ちと考えることもできますが、地獄界から天上界までの六道に関して「これら六つの生活環境を六道といいます。一般的に、普通の人はこの六道の境地をグルグルと回って、喜びや苦しみを感じていると説かれています。これを、六道輪廻(ろくどうりんね)といいます。」だそうですから、私たちの日々の心境が目まぐるしく移り変わる様を表しているともいえます。

 

「六道 = 日々の心境」的な見方は、発達心理学ではあまりしないですね。

 

 

私たちは、日々喜びも苦しみも味わいながら生きていますが、喜び多めの苦しみ少なめの方がいい気がします。

六道では、下から4番目の修羅界と5番目の間に深くて大きな溝がある気がします。

 

すなわち、「踏みとどまる」ことができるか否か。

 

修羅界までは、苦しみの中にあって落ちていくのを止める術がありません。

人間界に至り、踏みとどまることができるようになる、悩みは踏みとどまろうとする意識によって発生するとも読めます。

十分に踏みとどまることができて初めて、喜び多めになるようにコントロールできる素地ができる(天上界)ということも考えられます。

 

 

「踏みとどまる」とは、心理学の概念でいうと「実行機能」に該当する気がします。

長期間ストレスにさらされていると実行機能が弱るので、怒りっぽくなったりします。

なので、人間界にいたとしても、疲れて実行機能が弱って、下の世界に下がるということもあり得ます。

逆に、ストレスを少なめにできて回復できたら、人間界に上がることができる可能性もあります。

 

 

発達的な視点には、「人としての高みを目指す過程」があってもよいはずですが、あんまりないなーということに気づきました。

「人としての高みを目指す」ということでいえば、発達心理学ではありませんが、マズローあたりが該当するでしょうか。

 

(参考)マズローの欲求の5段階説

 https://ferret-plus.com/5369

 

 

「人としての高みを目指す」的な話は、理論や実験研究をどうやって実生活や人間関係に応用していくのかという話の中で、かなり出している気はします。

「人としての高みを目指す」の裏返しとして「悩みを解決したい」というのにどうアプローチするのか、ということにもつながってきます。

本人に動いてもらわないと悩みは解決しませんが、どうやって動いてもらうか、という話にもつながる気がします。

 

ダイレクトに「人としての高みを目指す」的な話を盛り込めるといいのかなという気がしました。