Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます。

WindowsとLinuxとサイクロン掃除機

4月ごろからPC環境がえらく変化してまして、無事Linuxのインストールも終わり、いろいろ入れたりしています。

それだけだといいんですが、うっかりMITのスクラッチ(子供むけのプログラミング学習サイト)に手を出してしまって、収拾がつかなくなる寸前でやってます。

 

LinuxはLinux Mint19を入れてみましたが、素人にも優しいですね。

インストールできてしまえば、テキストエディタとかブラウザとか、システム管理とかは一通り揃っているし、Libre Officeもあるので、MicrosoftのOfficeも、一部を除いて閲覧は大丈夫そうな雰囲気。

 

「閲覧」と書いたのは、互換性がイマイチなので、Microsoft Officeで書き溜めたものをLibre Office仕様に変更するのはちょっと骨が折れそうだなーという感じだからです。

だったら、Wineを入れて、Microsoft Officeが入るかどうかを試した方がよさそうな?

 

※2019年5月25日追記。Wine入れてMicrosoft Office13入れるのは挫折しました。

 

それと、どうせ書き換えるとかになるんだったら、Markdown使えるようにしていった方が良くない?

って感じです。

 

なので、TyporaとかR, Rstudioとか入れたりしているんですけど、Typora入れた時点でなんか感動しました。

Typoraのサイトに行って、Linuxのページに行ってみたら、無意味綴りに近いテキストがペタっと貼っているだけなわけです。

Windowsユーザーオンリー歴20数年の身からしたら、コマンドプロンプトでさえ荷が重いのに、これどうせえっていうの?って感じだったんですよね。

 

10行くらいのこれ、貼ればいいの?って頭で思っていても、実際の行動につながらないんですが、とりあえず、ターミナルっていうんですか、$マークがついているあの画面に貼り付けたら、なんかガーっと動き始めるではないですか。

 

うわ、なんかインストールしてる・・・・

 

で、Typoraの場合は、なんの支障もなく終わったんですが、ターミナルが動いているのを見て、なんかめっちゃ可愛くなりました。

そうなると、ミントグリーンのロゴでさえ可愛い、みたいな意味不明の状態になって、昔、Mac使いの知人が、Mac好きすぎて、Windowsにでっかいリンゴマークのシールを貼っていたのを思い出しました。

 

 Markdownを触り始めて思ったのが、見出しとか、箇条書きとか、画像入れるとか表入れるとかは、めちゃくちゃ簡単で、Typoraだとプレビュー画面で操作できるので、Googleドキュメントと何も変わらないといえば変わらなかったりします。

 

Markdownのキモは、むしろ、外側というか、フォントの種類をどうするかとか、PDFにする場合には、余白や行間をどうするかとかそこらへんなのかなと思いました。

PDFにせよ、HTMLにせよ、変換先の環境に依存するというか。

 

なので、CSSとかやる必要があるんだなーというのが分かってきましたが、どうせ覚えるんだったら、Rmarkdownとかいっちゃう?しかも、いきなりLinuxで、みたいなことをやったので、結構大変でした。

 

あまりにも試行錯誤しすぎて何がなんだか分からなくなっていますが、コマンドの意味を全く知らずに触り始めたので、

 

ソースリスト?を書き換えてね、みたいなのも、vimっていうのがテキストエディタの名前だっていうのが分かったのが、サイトを5つくらい見た後で、ウチの環境だと違うテキストエディタに関連づけられているので、変えなきゃいけないんだなとか、

 

Rmarkdownを使おうとしたときだったと思いますが、パッケージが入らないのでなんでかなと思ったら、Rのコンパイラというやつをインストールしたらいけたとか、でもその前に、最新版からひとつ落としたやつをインストールしなおしたんだよ!先にコンパイラ見とけばよかったとか、

 

PDF変換しようとしたらLaTex入れてねって出てくるので、とりあえずTexLiveを入れたら、日本語の部分で変換が止まるとか、TexLiveは日本語対応って書いてあるけどなんで?と思ったら、高橋康介さんのサンプルの上の方(Titleなどを指定する部分)をコピペしたらいけたとか、

 

2つか3つのプロセスごとに止まってますね。

 

こういう思考錯誤はものすごく既視感があって、よく考えたら、Windows98くらいのときに一通りやった気がするなーと思ったりします。

あくまで私の場合はWindows98だったってだけですが。

 

Windowsも、バージョンアップしていくなかで、中身をあまり触らせてくれなくなりましたが、Windows98くらいのときは、エクスプローラーから中身を山ほど見て、いらんもんを捨てたりしてました。

そういうことするから、だんだん触らせてくれなくなるんだろうと思うんですが(実際に必要なexe.ファイルまで捨ててしまって動かなくなった人も)、学習の一過程においては、中身をどこまでも確かめてみるってことも必要なんだよなーって思いました。

 

てな感じで、Linuxを触ってみて分かったことが結構あったんですが、

 

ホントに何も知らない状態で触ってみて、初期の言語獲得においては、膨大なインプットの中から差分を割り出すみたいな統計学習をやってるよねっていうのを改めて感じたりしました。

 

 

それから、やっとタイトルなんですが、Windowsって結局何者なの?って思いました。

 

ターミナルでコマンド打ち込んで結果が返ってくるみたいなプロセスの方が、コンピュータの本質には近い気がしますし、実はそれだけで全然いいんですよね。

 

けど、一部の慣れた人とか適性のある人じゃないと、ホントにターミナルみたいなテキストだけの画面で処理するっていうのは辛くて、Windowsみたいにデスクトップ画面で処理できるっていうのはすごくありがたい。

 

その恩恵を20数年も受けて来てこんなことを言うのはどうなのかなっていうのも思うんですけど、

 

デスクトップ画面での処理が当たり前になったときに、なんか余計なものがいっぱいくっついて、それが邪魔していることが沢山あったりしないのかなっていうのを思いました。

 

何かをインストールするときに、ターミナルからする場合は、インストールする手順プラス文字列の表示だけでいいわけですが、

 

GUIっていうんですか、私たちの多くが慣れ親しんだ、ウィンドウが出てきて、アイコンやボタンをクリックして、次のプロセスに進んだら、また違うウィンドウが出てきて、みたいなのって、ウィンドウを表示するとか、ボタンをクリックしたら次の処理に行くとか、そういう処理のためのプログラムも含まれている訳なんですよね。

 

それって、結構負荷が高かったりしないのかな?

って感じたりしました。

 

しかも、今回BIOSを触って感じましたが、デスクトップに出てこないベースになるいろんなものが、ここ数年で切り替わってきているようで、そこらへんのもたつき?とか、そういうものが蓄積されていそうだなって気がしました。

 

サイクロン掃除機はすでに私たちにはおなじみのものになっていますが、サイクロン掃除機の原理自体は、紙パック式と同じ時代に考案されたものだそうです。

そして、サイクロン掃除機は、ノズルの吸い取りと、サイクロンの2つにモーターの力を割かなければならないので、実は、ゴミを吸い取る力自体は紙パック式の方が上、という話があります。

 

だからサイクロン式の掃除機が劣っているかというと、そういう訳ではなくて、たとえば、ゴミを溜める場所の密閉具合が適切であれば、吸引力が上がるとかはありそうな気がします。

 

しかし、そうなると、吸い取りノズルとか、吸い取り用のモーター以外の部分での開発が余計にかかるわけで(紙パック式の場合は、紙パックの密閉性というか防塵機能が関係しているけれども、それは本体以外の開発でいける気がする)、本質的には余計な部分に力を割いているような気がしなくもないです。

 

Windowsの場合も、デスクトップ画面の使いやすさはもちろんありがたいですが、使いやすさを追求するあまり、PCの処理という本質と何かがバッティングしていて、その結果、ハードもメモリも巨大化の一途を辿っている気がするんですが、どうなんでしょうか。

 

 

 個人的な心情として、Windows10の次がある気がしない・・・・ので、Chromebookがうんたらとか、Linux触ってみようとかなっているんですが、

 

Windows11っていつ出るのかな、って思ったら、10で終わりで、違う名前のOSが開発途上にあるという話が引っ掛かってきて感慨深かったです。