Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます。

お世話になった人にお礼を言う

最初にお断りしておきます。

この記事は怪しげな内容になりますので、取扱注意です。

 

3月28日の夜に水星が順行に戻りました。

予兆はあったんですが、そのあたりで何かがバキッと変わりました。

水星逆行に入ってから何かが急激に変わったと感じたことはありましたが、順行に転じたあたりでこんなにスッキリしたと感じたのは初めてかもしれないです。

 

 

ここ5年くらいやっていたことの意味が分かりました。

ターニングポイントは2014年でした。

すごく小さなことでしたが、5年経ってやっと芽を出したのかなという感じです。

 

なぜ意味が分かったかというと、特別なことは何もやっていなくて、ネットを見ていたら急に分かったという話です。

特別なリソースがあったわけでもなんでもありません。

検索をかけた情報から洞察が降りてきて、これまでバラバラに認知されていた経験がつながったということです。

 

 

なので、どこのサイトを見たかとか、そういうのを書いてもいいんですが、分かったつもりになるのはあまりよろしくなさそうな案件なので、自分の経験と感じたことのみ書きます。

 

 

ここまで来て、お世話になった人たちにお礼を言いたいと思います。

直接言えた人もいますし、大半の人には直接言えないのが非常に心苦しいですが。

 

 

 

ここ10年ばかり自分の人生の見直しをしていました。

はてなブログに移ってからは、アーユルヴェーダの栄養補助食品の話を沢山書いていますが、体調不良からの脱出ということで、そういうのも人生の見直しに入りますし、

 

複雑性PTSD毒親問題に関するものは分かりやすく人生の見直しですね。

 

それから、生霊対策とかパワーストーンなんかも入ります。

 

 

人生の見直しをやっていて、「黄泉比良坂を逆走してるなー」と感じることが何度もありました。

 

なんやねんそれって感じだと思うんですが、分かりやすく言うと、生者の国と死者の国の境界で生きてきたという感覚です。

私はすでに死者の国の食べ物を食べているので、生者の国の住人にはなれないはずなんですが、諦めきれずに死者の国からの脱出を何度も試みていたという感じです。

 

ここらへんの感覚は、加藤 諦三さんの本に出ていたエーリッヒ・フロムの「バイオフィリアとネクロフィリア」の概念と被る気がしています。

 

(参考)

エーリッヒ・フロム『悪について』の新訳に寄せて|ちくま学芸文庫|出口 剛司|webちくま(1/2)

 

 

今回分かったのが、もうちょっとスピ的な側面において、私は生まれてから40年ちょっとの間、大事なものをドブ川に投げ込まれ続けていたんだなということです。

 

で、ドブ川に投げ込まれなくなったのが、2014年から2015年にかけての話。

ここらへんは、父方母方両方の家系の話とも関係していますが、その頃から体調が急に良くなっているので多分間違いないと思います。

 

 

一応解決済みになったので、解決した後の人生を送る所存ですが、それでも言っておかなければならないと感じているが、

 

ドブ川に大事なものを投げ込まれ続けてずっと起こっていたのが、大事なものと大事でないものとの区別がつきにくくなっていたという点です。

 

具体的には、

 

  • 居るべきところに居られなかった
  • 居なくていいところにずっと居た
  • 本質的でないことをずっと続けていた

 

みたいなことがかなりの頻度で起こっていて、その結果、経験がぐちゃぐちゃになっていたという点です。

 

私みたいに物質的にはかなりの部分持たざる状態で生まれてきた人間にとっては、経験から何を学んで獲得するかが重要だったりするわけですが、そういう経験を邪魔されたということですね。

 

済んだことをとやかく言いたい性質ではありませんが、これについては恨み節をずっと持ち続けるかもしれません。

 

ネガティブな経験によって強くなったことは確かです。

その一方で、ポジティブな経験の機会を邪魔されたことも確かで、百歩譲っても「これで良かったわ」とは言えないし、言うつもりもないです。

むしろ、私の大事なものをドブ川に投げ込み続けた側に対しては、「お前今度やったらクビな!覚悟しとけよ!」くらいの態度でいると思います。

 

 

何かの風穴があいたのかなという感じはありますが、なぜ風穴があいたかというと、体験・経験の重要性が一般的に認知され始めたからではないかと感じます。

ただし、人のことを鵜呑みにする、あるいは、体験・経験する力が育っていない人も沢山いて、二極化していることも感じます。