Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます。

自分の養育環境における自己評価と他者評価について思ったこと

昨日アップした記事

 

 

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がめっちゃ尻切れトンボで自分でも気持ち悪いのでちょっと補足してみようかと。

 

 

毒親問題から感情的にかなり抜け出しているのでよかったなーな今日この頃なんですが、

 

先日知人から「しっかりしたご家庭で育ったんですね」と言われてちょっとうろたえました。

 

 

知人は、私の人となりと親の簡単なプロフィールからそう判断したようですが、

 

 

私自身からすれば、私の両親とはボウルビー的愛着関係とか、エリクソン的心理社会的危機とかから見たら全然ダメダメなわけで、言われたときにホントに居心地が悪かったです。

 

 

毒親問題MAXのときに言われたら全面否定して知人の気を悪くしていたかもしれませんが、言われたときは毒親問題かなり抜けていた頃だったので、なんとなく居心地が悪いけど、まあいいかって感じで過ぎていきました。

 

この年になれば、自己評価と他者評価の違いについても受け入れられるようになりますし。

 

ただ、毒親問題に関して何が残っているのかなと思ったら、昨日の記事に関連する、学齢期から思春期にかけての問題なんだろうなという気はします。

 

親との愛着関係は、乳幼児期がキモではありますが、研究でお世話になった保育園でのかかわりや自分自身の研究、発達の理論から生き直す・振り返る機会は腐るほどあったので、トラウマレベルでなければケリがついていたのと、トラウマレベルのものはここ数年で順次解決していったので、特段問題になるものは残っていない気がします。

 

学齢期から思春期にかけては、逆にトラウマレベルのものはあらかた解消している気がしますが、トラウマになり切れないような、ちょっとした齟齬とか不満とか、そういうものが残っていたのかなと。

 

 

まあ、ぶっちゃけ、学校とかお稽古事とかでの親の振舞いですよね。

世間の荒波にさらされるような場面において、親が機能していたかというと、私の場合はそういうわけじゃなかったんだろうなと。

そういうのが、昨日書いた「学校の参観日」みたいな印象に凝縮されていたんだろうなと。

 

 

私の両親の場合は、世代的にみて思春期青年期を全うできるような時代に生きていたわけではなかったので、思春期における親の振舞いをちゃんとしてくださいと言ってもできるわけではないというのは頭では分かっていたんですが、

 

 

なんとなく後ろ髪を引かれるような記憶が残っていたんだなと感じます。

 

 

知人からしっかりした家庭で育ったのだろうという評価を貰ったのは、家庭から出たときにちゃんと面倒を見てくれる人が沢山いたからであると感じていて、

 

それはそれで、自分が生きてきた過程で身に着けたものだから、胸を張っていればいいわけなんですが、

 

 

親に対して後ろ髪を引かれる思いがあると、「私なんて・・・・」みたいな自己卑下の気持ちが出てくるものなんだなーと。

 

 

 ここ数年、思春期について研究をしてみたいとうっすら思っていたところもありますが、多分やらないだろうなと思います。

なぜならば、私が知りたかったのは私自身の思春期の問題なのであって、思春期の人全般ではなかったから。

 

 

研究は自分とは切り離して研究対象を対象化しないとできないと感じていますが、

 

ここ10年ばかり研究に対する興味がどんどん失われていったのは、自分のことを知りたい動機がどんどん高まっていったからだというのを改めて認識しました。

 

 

 昨日初めて、毒親問題について「気が済んだ」と感じました。

あまりにも長い間、毒親問題に傾倒していたために、その前に何をやっていたのか忘れているし、毒親問題の次に何を持ってくるのかについてもあまり見えていない状況なのでちょっと気持ち悪いです。

 

ま、それはそれでいいのかなという気もしますが。

やりたいことは沢山あるし。