Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます。

マドモアゼル愛さんの月の考え方で気づいたこと

久しぶりにマドモアゼル愛さんの記事を読んでみたら、個人的に興味をそそられることが書いてありました。

 

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ホロスコープを読むにあたって月が入っている星座は、その人の根本的に長じている資質を示すという解釈がされることが多いのではないかと思います。

 

しかし、マドモアゼル愛さんが書いているのは真逆であって、月はその人の欠損を示すという解釈がなされています。

 

非常に大雑把にまとめてしまうと、月は無意識や0~7歳くらいまでの年齢帯を示します。

だいたい生まれてから小学校へ入学するまでの時期です。

その頃の無意識とは何かというと、周囲からの刷り込みであり、子どもがやっているのは周囲からの模倣なんですね。

そして、子どもが褒められることというのは、模倣であって、そのまま進んでいったら大人の現実にはつながらない。

結果、月にこだわりすぎると不全感の支配する人生となる、ということになります。

 

 

一般的には、月がてんびん座だから、エレガントですよね、、、とか、美的才能抜群とか言われるわけですが、そうではなく、そうした才能や素質を何ひとつ持っていないことになるのです。影しか持っていませんので、影を見ることはできても、本当のエレガントはわからないのです。なのでエレガントにはこだわります。影しか見ていないので、逆にそれがどういうものか、常日頃こだわり続けるのです。

 

しかし、エレガントとは何かすら、月のてんびんにはわかりませんので、非常に苦しむわけです。それでいて、あなたはエレガントです、、、と言われれば、常日頃そのことで苦しんでいるため、そうであるかのように思いたくなってしまうだけです。

 

常日頃気にしているからその才能を持っているわけではありません。ちまたで言われているように、月を素質として捉え、それを伸ばすように安易に判断していますが、無いものをどう伸ばすのでしょう。それは物理的に無理なのです。

無いとは、残酷な言い方ですが、本当に無いわけで、無いものが何かすらわかっていないというほど、完璧に無いのです。

2018年 月について振り返る | マドモアゼル・愛 オフィシャルブログ「水瓶座時代」Powered by Ameba

 

 

上記引用は、ものすごい乱暴な言い方に聞こえるかもしれませんが、人は、自分が持っているものには無頓着で、足りないからこそ気になって敏感になる傾向があるというのは確かにあります。

ないにも関わらず、周囲からの刷り込みによってまがいものを与えられてしまう、そういうことも言えるかもしれません。

 

 

 

月に囚われた事例として三島由紀夫寺山修司が挙げられています。

 

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月=無意識の象徴で、月に振り回されると人生を間違うこと自体は、比較的言われていることでもあって、松村潔さんなんかも、月はエーテル体なので、重くなりすぎるといったことを書いていた気がします。

 

マドモアゼル愛さんの話で大事なのは、月を超える生き方とはどんなものなのか?ということでしょう。

 

マドモアゼル愛さんは、

 

太陽=生、意志

月=死

 

であって、そのバランスが大事だよということを書いています。

 

以前、セミナーで話されていたことですが、森田療法森田正馬博士がお子さんを失くされたときに、

あるときは狂ったように泣き、泣き続けていると、ふと雲が途切れて晴れ間が見えるような瞬間が来る。

晴れ間が見えたときには鼻歌を歌いながら家のことをやって、また雲が立ち込めてくると大泣きを始める、みたいな感じだったそうです。

 

これが森田正馬博士のいう「あるがまま」であり、マドモアゼル愛さんのいう「太陽と月のバランス」であるという話だったと思います。

 

 

それから、月への囚われから脱するための方策として、月星座の対向の星座を使おう=月光反転法という話も書かれています。

 

 

私の場合は月がうお座ですが、こんな感じです。

 

うお座の月の場合

うお座は神秘性、一体感、魂の永遠性などを本気で感じ取る感性を持っていますが、月うお座にはそういうものがないと考えます。ないのですが、幼少の頃に覚えた神秘感覚などは劇画的感性で持ち続けます。しかし、そうしたものも現実の中で段々と色あせていき、現実への対処能力を必要とされる年代では消えてなくなりますが、月うお座の場合はなくなることに抵抗を示します。自分には神秘能力や見えない世界とつながる能力や力があると思いたいのです。しかし月はないものを示しますので、やはりないんだと思います。(月以外のアプローチによって神秘に近づける人はいますので、その点は誤解しないでください)うお座は人の気持ちに沿って物事を捉えるやさしさがありますが、うお座月にもあるように見えます。しかし、月うお座にはそうした能力がないのですから、本当には人の気持ちに沿うことは原則的にはできませんし、犠牲的なこともできないはずです。しかし、自分のイメージはそうした犠牲的でやさしい人間でなければ自分自身が受け入れられないという、常に欺瞞の構造の中にいます。それが生き方や人生の不安定感をつくりますので、月を反転させた星座の特徴を意識することで、心身の健康を取り戻すことが大切です。うお座はあいまいで神秘を愛しますので、月うお座も自身を偽り、そうした流れの中で物事を考えたくなります。占いや神秘的直観と思って自身の進路や方向を考えたりしますが、どれも失敗に終わります。反転させたおとめ座で物事や進路や決断を考えなくてはいけない人なのです。おとめ座は現実の枠組みを重視します。このケースではこうなることが多い、、、この確率は何パーセント程度あるから、面白いよね、、、など、枠組みのしっかりした現実的な世界観をうお月は必要としています。もしあなたが、私の直観だけど、こうした方がいいよ、、、と人にアドバイスするより、でもさ、今、この程度のお金しかないのにこの生活してたら、あと半年も持たないよ、、と言った方が、ずっと信頼性が増すわけです。現実の形に当てはめて考える、その時々で変化しない自分の物差しを持つ、、、そうした思いで日ごろ意識して生活すると、あなたへの信頼性がグンと高まり、何より、自分自身を信頼できるようになります。日ごろのやるべきこと、掃除、義務を果たす、職務、清潔、こうしたことに気を向けることです。そうしたものを軽く扱わないことです。雲をつかむかのようだった自身の人生が確かにスタートする手応えを感じられることでしょう。

月のホログラムを溶く 月光反転法② しし座からうお座の月について | マドモアゼル・愛 オフィシャルブログ「水瓶座時代」Powered by Ameba

 

 

 うお座の月は、人の気持ちに敏感だといいますが、私の場合、そんなことはないです。

それから、両親が共感性の一切を欠いたような人たちだったので、共感性とは何ぞや?ということを学んだのは大人になってからです。

 

私は人から優しいとよく言われますが、いわゆる共感性が発達しているから優しいといわれるわけではなくて、その人が困っている状況を分析して、解決方法を分かりやすく提示できるからだと思っています。

この能力は、強すぎる水星が担っているともいえますが、おとめ座的な側面(おとめ座は水星の支配星座でもありますが)も持ち合わせているので、なぜなのかな?ということは常々思っていました。

 

また、相当自由に生きているにも関わらず、組織内の役割みたいなものにはうるさいと思います。

たとえば、上の人が下っ端みたいに軽々しく動くことにはあまり賛同できません。

これは、つつき順的な社会的序列に敏感なわけではなくて、将棋やチェスの盤面において、それぞれの駒がどのように動くべきかに敏感であるということではないかと思っています。

「金」レベルの人が「歩」みたいに軽々しく最前線に出るなよってことですね。

こういうのっておとめ座的だったりしないかなーと感じていたりします。

 

 

ここ1,2年、毒親問題を複雑性PTSDの観点から書いていましたが、自分の解決方法としては、純粋に心理学的なアプローチやエネルギーワークよりも、体質改善がよかったと感じています。

これも、ある意味おとめ座的なアプローチですね。

 

 

三島由紀夫おとめ座の月だったそうで、彼の場合は、身体の改造が彼を袋小路にいざなったといえそうです。

私の場合は、三島由紀夫とは逆で、うお座の月が命じるままに無意識に没入したら袋小路に入っていたかもしれません。

 

ということで、月星座との付き合い方は少し気をつけた方がよさそうだということが分かりました。

 

ただし、「欠落している部分が気になる」傾向を一切無視することも建設的ではありません。

無意識は抑圧すればするほど大きな嵐となって表面化しようとする傾向にあると感じます。

なので、欠けている部分が気になることは頭の片隅におきつつ、ガス抜き魂鎮めしつつ現実とのつながりをつけながら生きていく必要があるだろうと思います。

 

 

また、子ども時代の月が模倣であるからといって、実際の子どもの模倣を制止することも現実的ではありません。

発達や保育に触れた人は知っていることですが、子どもの模倣は学びの要素としては非常に重要なものです。

ただ、模倣の中に子ども自身の意志や意思、動機など(=太陽)が込められているのかについては注意深く見守る必要があるでしょう。