Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます。壮大な自由研究帳 → 幹細胞みたいになってます

パワーストーンとの付き合いを振り返ってみた

いやー、台風24号、すごかったですね。

私が住んでいる東京都の西南部は、午前2時ごろには風雨はかなり収まっていた模様ですが、停電の代わりにリモコン消したはずの照明がつくっていう珍事に出くわしました。

つけたままにして観察していると、一瞬チカっとするときがあったので、そのときに電気の付き具合がリセットされる的なことがあったのかなーという感じではあるんですが。

 

ツイッターを見ていると、大阪の方が、「今回は西側なので前回の台風21号よりはひどくない」という内容をアップされていて、とても参考になりました。

ありがとうございました。

台風の進路を見ると確かに東京は東側だわ。

台風の位置によって全然威力が違うんだということを初めて感じました。

 

夜が明けて今も、台風の影響で交通機関が乱れまくりなので、今日1日予定が空きました。

 

ってことで、なんかわからんけど記事を書いてます。

 

最近パワーストーンに関連する話を書くことが多いんですが、わたくし健康オタクであるだけでなく、スピ系はかなり好きです。

精油、ハーブ、パワーストーン、西洋占星術、タロットあたりに興味を持ったのは小学校高学年ごろで、三つ子の魂百までじゃないんですけど、思春期の嗜好ってあなどれないなと思います。

 

身体のメンテに注力し始めたあたりでパワーストーンに対する興味が薄れて、パワーストーン卒業なのねーって思っていましたが、そうではなく、なんかパワーアップして戻ってきた感じです。

 

ということで、パワーストーンも興味を持ち始めてから30年以上、実際に手に取ってからちょうど30年で、付き合い方もそのときどきで変わってきているものなんだなーというのを感じましたんで、ちょっと書いてみたいと思います。

 

小学校時代にはパワーストーン前史があって、小学校低学年のときは、学研の『世界ミステリーゾーン』とか読んでました。

 

発行された年が1983年なので、これじゃないかと思うんですが。

 

bookmeter.com

 

 

記憶をたどってみたときの印象は、読書メーター書かれている方とほぼ同じというか、大人目線でいうと「いや、あるわけないし」って思う内容が多いんだけど、ワクワクして楽しかったなー。

 

んで、小学校5,6年で、友達が持ってきた『ノストラダムスの大予言』にハマりました。

 

ノストラダムスの大予言 - Wikipedia

 

このページは五島勉さんの著書について説明されています。

佐藤優さんと片山杜秀さんが対談で『ノストラダムスの大予言』にハマった世代ですみたいなことを話していて、「ん?」と思ったんですが、五島勉さんの著書が最初に出たのが1973年なので、佐藤優さんと片山杜秀さんはリアルタイムで読んでいた世代で、私の方がちょっと遅い世代だということになりますね。

 

president.jp

この対談を読んで、私よりひと世代上の人が終末思想や厭世観のようなものにどのように染まっていたかというのを垣間見ました。

 

私は1972年生まれなので、ニクソンショックオイルショックが起こった頃に生まれているわけですが、佐藤優さんと片山杜秀さんは多感な時期に「落ち始める世界、落ち始める日本」みたいなのを経験していて、その経験と、『ノストラダムスの大予言』の終末思想がリンクした感じ。

 

『世界ミステリーゾーン』と『ノストラダムスの大予言』は、今振り返るとどちらも「トンデモ本」に分類されるものだと思うんですが、背景にある世界観は全く違っていると思います。

 

 

『世界ミステリーゾーン』は、ホントにワクワクするんですよ。

私たちの知らない世界が地球上にまだ存在しているんだという夢があるんです。

おそらく、世界観は小学校入学以前から親しんでいた絵本の世界と共有していたんじゃないかという気がします。

 

一方、『ノストラダムスの大予言』は昏い世界です。

小学校5、6年の私は、「世界って終わるのか!」という衝撃を受けて、親に「世界って終わるんだよ!」みたいなことを力説した記憶があります。

からしたらドン引きで、「あんた何ゆうてんの」って感じではありましたが。

 

「世界が終わる」という感覚は、健全な視点からは、思春期に入りかけの時期で、家族や学校との関係が変わることを暗示しているといえます。

そして、さらに広い世界に参入することができれば、「世界は終わる」という感覚は消え、新しい世界に没入することができるのだと思います。

 

一方で、「世界が終わる」という感覚の受け皿が現実世界になかった場合、糸の切れた凧のような宙ぶらりんの価値観を持ち続けざるを得ないこともあり得ます。

ノストラダムスの大予言』の最初の本が出た1973年は、オイルショックによる経済や消費生活の低迷・混乱が起こっていて、その頃に思春期を迎えた人たちは、世代的に糸の切れた凧のようになっていたのかもしれません。

 

 

私の場合は、「世界が終わる」ことの衝撃から「新しい世界への参入」によって現実世界を切り開いていく経験から見えてきたことと、糸の切れた凧のような不安定な価値観との両方を持ち続けていたのではないかと思います。

 

 

不安定な価値観はどうにかして、安定した土壌に定位させたいという欲求をもたらします。

 

私の場合、ポスト『ノストラダムスの大予言』は、

 

建設的な側面で言うとクラシックバレエと受験勉強からの心理学専攻ですね。

クラシックバレエはとりあえずおいておいて、心理学に進む元は、神秘学への興味で、シュタイナーとかいろいろ読んだりしていたんですが、ある日母親が、大学に進むなら心理学とかどう?みたいなことを言ったんですね。

私も、大学に行くなら先のことも考えておかねばならぬというというのは思っていて、神秘学とかやってどうやって食べていくんだ?というのは高校生ながらに考えていて、計算打算と興味との交点が心理学という感じです。

 

私の現在の収入と仕事での人間関係を成り立たせているのは心理学なので、高校時代の軟着陸は、その当時に考えたこととは全く別の形で現実に根付いているといっていいのかもしれません。

 

一方、昏い部分を引き受けていたのが、西洋占星術、タロット、パワーストーンへの興味でした。

私の姉が、こういうものが大嫌いで、その当時、私が少しでも興味を示したら、ボコボコにされていたんですね。

そういう経験があったので、「スピ好きは悪いもの」という価値観と「隠れスピ」根性が根付いてしまったんだと思います。

 

30年経って振り返ってみて、私に悪影響をもたらしたものは「スピ好き」そのものではなく、「スピ好き」に紐づけられてしまった自己否定や抑圧ではないかと思います。

 

確かに、パワーストーンって、エネルギーがうんたらかんたらとかそういう宣伝がされることが多いので、怪しいと思う人は怪しいと思うし、実際に怪しげなものも沢山あります。

 

ただ、それであっても、抑圧したら変な方向に出るから、表に出して付き合い方を学ぶ機会を持った方が良かったなと思います。

 

パワーストーンとの健全な付き合い方を学ぶというのはどういうことかというと、中学生、高校生当時でいうと、

 

自分のお小遣いを貯めて買って、1個を大事にする

 

というものです。

 

パワーストーンは当時でも数千円から1,2万円程度はしていましたので、中学生高校生にとっては高価なものです。

なので、そんなに沢山買えるものではないですが、どういうわけかいくつか手に入れて、でも、きちんと使った記憶はありません。

 

パワーストーンを買っては放り出す行動は、大学に入ってからも続いたというか、大学に入ってからはアルバイトをして使えるお金が増えたので、拍車がかかった気がします。

 

なぜパワーストーンを買っては放り出す行動をしていたかというと、その頃の購買原理がおかしくて、

 

このパワーストーンを買ったら私は素晴らしくなれる(はず)

 

みたいな感じで買っていたからです。

ならねーっつーの。

 

まあ、ここらへんは、パワーストーンじゃなくても、受験の参考書でもブランド物の100万円するバッグでもその人がハマりそうなものならなんでも起こるんですけど。

 

ウチの親は、あるとき突然太陽光発電機を取り付けると言い出して、姉が激怒していたんですが、その理由が、「災害時に停電になっても電気が使えるから」というものでした。

その話を聞いて、「なんか変だな」と思ってネットで調べて太陽光発電の営業さんに確認してもらったら、停電時は非常用の電源しか使えないのと、実家の屋根は狭いので売電(母親は売電も狙っていた)できるほどの電気は生まれないことが分かって、諦めてくれました。

太陽光発電とか数百万ですからねー。

そんなお金どこにあるの?って感じなんですけど、スイッチ入って一発逆転みたいな感じになりますよねー、ウチの親。

 

その出来事は数年前に起こったので、そのときにはもう、私の中で「〇〇を買ったら私は素晴らしくなれる」というのは、私の中のやばい何かが動いているときだというのが分かっていたので、親にも冷静に対処できましたが、その背景には、自分のイタい経験があるからなんですよね。

 

 

大学院に入ってからも、パワーストーンは1,2個買った気がしますが、そのときにはもうちょっと使えていたかなという気がします。

丸玉を枕下に入れて気持ちを落ち着かせるとかその程度のものでしたけど。

 

大学院では、やることやらないと論文が書けないし、「あなたは何がやりたいの?」とずっと聞かれてその回答をさまざまな形で出さなければならかったので、「パワスト買ったら私は素晴らしくなれる」とか思う暇もなかったし、パワスト買ったら論文がうまく書けるようになるとも思えなかったし、ネットのない時代でパンフレットを取り寄せてはがき出してお金振り込んでなんて暇もなかったし。

 

 

次にパワーストーンを沢山買った時期は、就職して関西から首都圏に移住してきたときです。

そのときは、仕事のストレスから買っていたよなーと思います。

 

 

その次にパワーストーンを沢山買った時期は、結婚生活が破綻しかけてどうにかこうにか続けていた時期かつ中年期の時期にさしかかりアイデンティティの再構築を始めた時期です。

 

という風に並べてみると、私の場合、明らかに、個人の努力ではどうにもならない事態のときに、パワーストーンを買ってますね。

 

その選択は半分正しくて半分誤りだと感じます。

これはあくまでわたくし個人の主観ですが、パワーストーンという物体は、個人の努力の範疇を超えていろいろなことをもたらしてくれるものである。

それは、確かに主観としてはあるんです。

 

けど、個人の努力を超えた何かが起こるのは「パワスト買ったら素晴らしいことが起こる」という思い込みが働いていないときなんですね。

なので、方法の選択は正しいけれども、私自身の姿勢は間違っていたといえます。

 

そのことに気づいたのは、結婚生活がうまく行っていないときに沢山買ったときですね。

あるとき、「パワーストーンを友達として扱ってください」的なことを感じたんです。

あ、そうかー、私、パワーストーンを道具として扱ってたわって気づいたんですよね。

パワーストーンが道具であるというのは、間違いではないんですが、道具なら道具なりの心の交流の仕方があって、できれば友達みたいに接していた方が、心の交流をしやすいですよねってことですね。

 

そのあたりから、少しずつパワーストーンとの付き合い方が変わったなーという感じです。

 

そのときにお世話になっていたのが、ちょっと前にリンクした「パワーストーンワークス」なんですが、

 

powerstone-works.net

 

 

 

昨日書いた記事、

 

coccolifestyle.hatenadiary.jp

 自分の内部感覚をモニタリングする力を養うのに石の力を借りる的な感じでした。

 

オリジナルアクセサリの販売が月イチなので、当時はちょうどいいサイクルだったなーと思います。

パワーストーンの進研ゼミみたいなものでしたね。

 

 

今振り返ると、月イチのお付き合いは非常に実り多いものでしたが、同時にすごくもったいない使い方をしていたなーというのも感じます。

 

月イチで買っていたのは、結婚生活がうまく行っていなかった時だったと書きましたが、いろんな意味で「パワーストーンのアクセサリがないと私の心は死んでしまう」くらい追い詰められていました。

 

それは、元夫との関係が悪化しすぎて、自分の内部環境を常にモニタリングして修正しないとダメージが大きすぎるという面もありますし、

 

元夫の趣味によって、私には似合わない服をよく着ていたので、パワーストーンワークスのアクセサリを身に着けることで、ぎりぎり自分らしさを保っていた感じです。

ネックレス、めっちゃ買いましたからねー。

通常ならチェーンの部分まで、小さな石が連なっていて、大きなペンダントヘッドがついているものが好きでしたねー。

今回もいくつか出品されているので、興味のある方はリンク先を見ていただければと思います。

 

自分の心が死ななくてよかったなというのは思うんですが、一方で、石のポテンシャルというのがあるわけで、私の状況だと、石の力は全然発揮させられていないわけです。

それは非常にもったいない。

 

言い換えれば、自ら率先して生きるか死ぬかのラインまで自分を削っているような状況では、石の力を発揮させることはできないんだと思います。

 

離婚してから「自分あかんって」というのはイヤというほど感じて、今だったら、自分をギリギリまで削るような人間関係の持ち方はしない覚悟だし、それよりも、もっと実りの多い関係を目指す方向でいます。

(現在の姿勢であれば、元夫とこんなにやばい状態にはならなかっただろうし、もしかしたら結婚すらしていないのかもしれない)

 

 

そういう心境に至ってから、またパワーストーンが増え始めたら、なんか全然違う気がします。

何?あなたたち、こんなにいろんなことができたのねって感じ。

今までホントにもったいないことしてきたよねー。

 

それと、ショップの方の姿勢なんかも影響しますね。

 

今メインで働いてくれているのは、上にリンクしたパワーストーンワークスのアクセサリと、まるの日圭さんのショップで買ったマトリクスアメジストの丸玉です。

 

 

 まるの日圭さん監修のショップ

 

ヒーリングショップ・ネコオル

 

 

 まるの日圭さんは、ヘミシンク独学でそっちの世界にバンバン行っている方なわけですが、そういう性質をお持ちな方だからか、

 

マトリクスアメジスト開封したとたん飛びそうになりました。

 

これなんですけど。

marunohikafe.cart.fc2.com

 

この石を買ったのは、生霊対策でモリオンとか買っていたときで、「守護」とか「グラウンディング」とか書いているし、黒い部分もあることも画像で確認したし、現物のある今も、確かにグラウンディングする感じはあるのも分かるんだけど、

 

でも飛ぶ。

 

ちなみに、おまけで付けていただいた薄い色のスモーキークオーツと思われるタンブルも、スモーキークオーツなのに飛ぶ。

同封されていた絵葉書ですら飛ぶ。

 

っていうことで、ショップ主の性質って影響するんだなというのを思いました。

 

今はアストラルトラベルとか体外離脱とかはどうでもよくて、現実を盤石なものにすることに注力したいので、飛ばなくてもいいかなーという感じなので、多分1つだけで終わると思いますし、なんならスモーキークオーツのタンブルは誰かにお譲りしても?と思っているんですが。

 

ただ、対外離脱とか今はどうでもいいから、買ったのが無駄になったかといえばそういうわけでもなくて、寝ているときに「魂の里帰り」みたいなのがちゃんとできているような感覚があります。

里帰りの記憶は全くないんですが、特に必要としていませんし、なんかすっきりしたー!っていうので十分。

あっ、そういえば、里帰りしてからスムーズに身体に戻れているので、これってグラウンディング・・・・ちょっと面白いですね。

 

 

まるの日圭さんセレクトの石とある意味対極にあると感じるのがパワーストーンワークスのアクセサリで、攻守のバランスが取れていて現実を自分の足で歩くためにいいです。

いや、正確にいうと、まるの日圭さんセレクトのものも攻守のバランスは取れているんだけど、どこを攻めてどこを守るかが違うんだな。

 

 

パワーストーンといえば、金運とか恋愛運とか願望実現のツールとして定着している感がありますが、私が買ってみた他のショップでわりと多いなと思ったのが、たとえば、恋愛運に関しては開拓してくれるかもしれないけれども、足場固めができないために、ホントにこれ効くの?っていうパターンです。もちろん、仕事運など他の願望でも同じです。

 

私たちが通常何かを成し遂げるときって、行先だけ見ていたら足元の石につまづいて転ぶかもしれないので、足元も気を付けつつ進むわけです。

パワーストーンワークスのアクセサリは、防御面も考慮されているので、こちらとしては安心して使えるということがありますね。

 

たとえば、恋愛成就のためにパワーストーンのブレスレットを買ったとしましょう。

そのパワーストーンは、好きな人と会う機会を作ってくれるかもしれません。

けど、自分の家が散らかっていて人を呼べる状態じゃなかったらどうしますか?

最初は外で会えばいいけど、仲良くなってきたら、彼が家で会いたいって言うかもよ?

そういう関係になったときにどうする?

素直に家に呼べるだろうか?

素直に呼べるのであればスムーズに仲は深まるかもしれません。

家に呼ぶのを躊躇したときに、たとえば、「ウチすごく汚くて、1週間以内に片づけるからもうちょっと待って」とか言えれば、「分かった、待つよ」ってなるかもしれません。

けど、「いやちょっと・・・・・」とかお茶を濁して逃げようとしたら、彼はどう思うか。

彼はあなたの家が汚いという事情は知りません。しかし、現実に彼の目の前のあなたは彼を家に呼びたくないのがありありと分かる態度である。

そうすると、彼は、「俺のことあんまり好きじゃないのかも」とか「もしかして二股かけられてて、別の彼がいるのかも」とか思うかもしれません。

そうなったら、彼の心はあなたから離れていくかもしれません。

ってことなんですよね。

 

なので、何か結果を出すときには、結果を出したい事象だけ見ていても出なくて、外堀を埋めていく必要があるんですよね。

 

っていうのをパワーストーンでどこまでできるかというと、アクセサリなんかは特に、作った人が防御とか、土台作りとか、大崩れしないとか、そういう面に配慮できるかどうかが重要になってくると思います。

 

そういえば、以前パワーストーンワークスで月イチ進研ゼミ状態で買っていた時に、服を大幅に捨てて部屋の模様替えをして、部屋に人を呼べるようにしたことがありました。

この断捨離と模様替えによって仕事が大幅に進展しましたんで、人生の中では非常に大きな出来事だったと思います。

 

この行動とパワーストーンを結びつけるのは無理があると思われる方もいらっしゃると思うんですが、この出来事は、大幅な発想の転換が必要で、自分ひとりだったら多分出なかったです。

家に人を上げているのが元夫にばれたらボコボコにされるかもしれないし、そもそも、あの家に人を上げるなど思いつきもしませんでしたから。

 

こう書くと、「物を捨てたら〇〇が起こる」的に誤解されるかもしれませんが、そういう直線的な関係ではないと思います。

 

私たちが何かを成し遂げる場合は、いろいろなパーツを順不同で埋めていく時期というのがあって、そのうちに、全体像がうっすら見えてきて、方向を掴みやすくなってきたりします。

最も曲者は最後の1割で、最後の最後でボトルネックになっていて、最終形態が見えないこともしばしばです。

 

で、私たちは最後までたどり着くまでに、手を変え品を変えいろいろ試みるのですが、なかなかゴールが見えてこない。

パワーストーンなどが効いてくるのは、最後を突破したいけど突破できないみたいなときなんですよね。

で、あと3手必要だったところを1手にショートカットしてくれるとか、近道を用意してくれるとかそういう感じです。

やっている側からしたら思ってもみなかった道なので、意識せずにやったらいつの間にかゴールだった的な感じで、「ミラクルだ!」となるわけです。

 

9割がた済んでいるんです。

ほんのちょっとの後押しで完成なんです。

人がほんのちょっとの後押しをしてくれる場合もあるし、石の場合もある、それだけなんですよ。

なので、やることはやらないとミラクルもないわけで、やりようによっては、永遠に「パワーストーンを買えば素晴らしい私になる(はずなんだけどならない)」ってことになる危険性もあります。