Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます。壮大な自由研究帳 → 幹細胞みたいになってます。機能が分化した別館も併せてよろしくお願いします

宇宙飛行士とアウシュビッツ

毎日毎日暑いですね。

夏休みの気温になったので、テストとかもういいから休みにしてほしい今日この頃。

濡らせる冷却マフラーみたなのが欲しいですが、買いに行くのすら命の危険を感じるというか。

 

 

本を読みました。

 

 

ドキュメント 宇宙飛行士選抜試験 (光文社新書)

ドキュメント 宇宙飛行士選抜試験 (光文社新書)

 

 

 

すっごく面白くて一気読みしました。

 

宇宙飛行士を目指すだけあってみなさんの能力と人格は素晴らしいものがありました。

 

 

というので感想としては全然OKなのかもしれないんですけど、ひとつ気になることがありまして。

 

 

宇宙飛行士というのは夢をかきたてる職業である一方、待遇としてはあまりいいわけではないし、何より死と隣り合わせの職業である。

 

そこらへんのところが丁寧に描かれていて非常に興味深かったのですけど、実際に、宇宙飛行士選抜の最終候補者が経験した閉鎖空間は、密室でプライベートがなく、ストレス耐性を見るために非常にタイトなスケジュールで動ている。

 

そして、実際のスペースシャトルなどになると、長期間風呂に入れないし排泄の問題もあり、めっちゃ臭いのだそうです。

 

 

読み進めるうちにふと、

 

宇宙船とアウシュビッツのような強制収容所と、環境面で何か違いがあるんだろうか

 

という印象を持ちました。

 

 

もちろん、宇宙船と強制収容所との間には厳然たる違いも存在しているわけで、それは何なんだろうというのも思いました。

 

 

宇宙船と強制収容所との違いは、ひとつには、

 

関わる人の違い

 

があると思います。

 

宇宙飛行士は究極のストレス状況でも冷静に対処できる人を選抜しています。

 

一方強制収容所は、『夜と霧』によると、その看守は人格が劣悪な人をわざと採用していた節があります。

 

 

もうひとつは、組織としての初期設定があるのではないかと思いました。

 

 

宇宙に関係する仕事に携わる人たちは、幼いころからの夢をかなえるためであったり、人類に貢献できるという確信を持っていたり、選ばれた矜持があったりということがあると思います。

 

私たちは人類の進歩に貢献している

 

という自負のようなものが、危機管理や究極の状況でのチームワーク、創意工夫による問題解決を生んでいると思われます。

 

 

一方ナチスドイツについてみてみると、確か佐藤優さんの本だったと思いますが、ヒトラーは明日のパンのために戦争を起こし続けたというところがあるそうです。

トップがそういう心持ちであると、その組織は非常に貧しいモチベーションしか持ちえず、支配被支配の究極の形を取ることになるのではないかと感じました。

 

現代の宇宙に関わる仕事とナチスドイツを、マズローの欲求の5段階説にあてはめてみると、

 

 

宇宙に関わる仕事は自己実現欲求によって動かされている

ナチスドイツは生理的欲求に動かされている

 

という気がします。

 

 

ちょっとした違いのような気がしますが、結果はえらい違いになるって感じですね。

 

 

自己実現欲求というのは、その下の4つの段階もクリアしてる必要があります。

宇宙飛行士の選抜試験においては、候補者の人間性が重視されていました。

技術的な能力や危機管理能力もさることながら、周囲の人とうまくやっていくパーソナリティやユーモアが必要であるとみなされていたのですね。

周囲の人とうまくやっていくというのは、マズローのモデルでは所属欲求や商人欲求にあたるでしょう。

そのあたりがうまく回っているかどうか。

 

『夜と霧』の著者であるヴィクトール・フランクルも、強制収容所の極限状況を乗り切るための資質としてユーモアを挙げていました。

 

 

仮に組織が生理的欲求を求めるということになったとしたら、どの方向へ行くかは予想がつきません。

生き残りを賭けた結果、非人間的な強制収容所が出来上がったのではないかと。

 

 

 失われた20年の間「生き残りを賭けて」という文言が流れ続けていました。

「生き残りを賭けて」という文言は非常にまずいと感じていたのですが、気がつくとそれすら言われなくなっていました。

 

 

「生き残りを賭けて」=生理的欲求ないし安全欲求と思われますが、それらの基本的な欲求が満たされたから言われなくなったのではなくて、

 

それらの基本的な欲求すら満たすことができなくなったから言われなくなったのではないかという気味の悪い思いをしています。

 

 

そういう厳しい状況であっても私はユーモアを捨てないと思います。