Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます。壮大な自由研究帳 → 幹細胞みたいになってます。機能が分化した別館も併せてよろしくお願いします

ハラスメントと道徳性、ヒューミント・オシント

ハラスメント関連のニュースを見ない日がない今日この頃です。

「ハラスメント」と感じるもろもろの人間関係が、こんがらがった糸の中心点なんだなーということを感じます。

 

個人的に気になっているのは、麻生外相の「セクハラ罪はない」という発言なんですが、なんでこんな発言できるのか、爆弾投下するようなものなのになーと思うんですが、世代的に仕方がないのかなーという気もします。

 

個人的に関連すると感じているのが道徳性の発達研究に関するもので、有名なのはコールバーグの図式です。

 

私の使っている教科書からざっくりまとめますと、

 

コールバーグの使った話は「ある男が病気の妻のために、薬剤師に高価な薬を半額で売ってくれと言ったら断られたので強盗して奪った。この男は罰せられるべきか否か」というものです。

 

それに対してギリガンは、コールバーグは正義の倫理に偏っているけれども、他者へのケアの倫理もあるよね、と主張しています。

 

ギリガンが使った話は、「ハリネズミモグラの家に居候した。モグラハリネズミの針に辟易して出て行ってくれと言ったら、逆にハリネズミモグラに対してお前らが出て行けばいいんだと言った」というものです。

ギリガンの話はジェンダーの話が絡みますが、男の子は「この家はモグラのものだからハリネズミが出て行けばいい」という意見が多かったのに対して、女の子は「ハリネズミに毛布を掛けてあげたらいいのよ(※そしたら痛くないでしょってことだと思います)」といった意見が多かったそうです。

 

ジェンダーの違いは置いておくとして、道徳性あるいは倫理に関しては、いろんな側面があることが、この話から分かります。

 

麻生外相の「セクハラ罪はない」というのは、「刑事責任には問われない」ということであって、この発言は、コールバーグが取り上げた、ギリガンいうところの「正義の倫理」に近い気がします。

 

一方で、ハラスメント防止も含めたコンプライアンスは、私たちが社会生活をまっとうに送るために守るべき規範であって、これは、ギリガンいうところの「他者のケアの倫理」に近いのではないかと思います。

 

私たちは、正義の倫理も他者のケアの倫理も両方必要ですが、あいまいかつデリケートな部分であればあるほど、どちらを採用するのかについての合意形成が必要なんだなと感じます。

 

そして、

一般人の意見を見ると、大抵はコンプライアンスを守る方向で行って欲しいという感じですが、

省庁や大学関係は、「罰せられなければよい」「逃げ切り」でという感じの印象を受け取ります。これは、コールバーグの発達段階でいうと、幼児期や小学校の低学年くらいが持つような非常に幼い道徳観に当たります。

 

なので、一般人からすると、あきれるやら憤懣やるかたないやらみたいな感じになるんじゃないかと。

 

 

なぜ、こんな稚拙なことになっているのか。

 

というのをつらつら考えていた時に、この対談を読みました。

 

www.bookbang.jp

 

引用します。

 

加藤 なるほど。それと関係するのかもしれませんが、灘高生たちはヒューミント(人間関係から得る情報による分析手法)がなくてもオシント(公開情報による分析手法)だけで世界のリーダーの思考を分析できないかとも聞いていました。「できる」という答えを期待しながら訊いた高校生に対し、佐藤さんはこう答えていらした。

佐藤 というか、オシントから真実の姿をつかむためには実体験も必要になってくる。たとえば、政治エリートはこういう思考をするだろう、ロシア人はこういうことを考えるだろうという行動原理を知るためには、実際にその世界で仕事をした経験がないと難しい。

生徒 それは本とかを通じて得るのは無理なんですか?

佐藤 本を通じて得られることはもちろんあるし、その世界にいた人の話を聞いて分かることもあるよ。けれども、やはり限界がある。(同111頁)

 ここに私は彼らの不安を感じました。「『オシントだけで大丈夫。学問でロシアもアメリカも中国も理解できる』と佐藤さんに言ってほしい」という不安です。

 

灘高の生徒さんの質問ですが、非常に面白いと思いました。

オシントだけでできないか?というのは、オシントだけでいけると言って欲しいという思いがあると同時に、肌身で感じないと分からないことがあるんだという思いもあるということではないかと思いました。

 

灘高の生徒さんの進路みたいな話も対談に載っていましたが、一筋縄ではいかないというか、多くの人が東大 → 省庁 みたいな先の見える進路は選ばないのだという話が載っていました。

それが本当なら、本当に面白くて、

 

仮に何の疑問も持たずに東大から省庁に入って位人臣を極めることになった場合に、「オシントだけでできませんか?」という質問が思い浮かぶんだろうか。

 

もしかして、本当にオシントだけの世界で生きていて、ヒューミントのない世界で生きていたりしないだろうか。

 

 

ヒューミントというのは、おそらくは、さまざまな危機もあり、涙も流す手法だと思います。

その中にギリギリの面白さがあったりするのでは。

 

仮にそういうものがない世界で生きていた場合に、ハラスメントなんて究極の人間関係の判断ができるんだろうか。

 

 要は、省庁に入ってハラスメント、というのは、頭でっかちなんだよなーって思うんですけど、頭でっかちの意味を理解するのに非常に時間がかかりました。

 

 

私たちは、笑いも涙も怒りもある世界に生きていた方が、おそらく人間らしく生きられるんじゃないかと思います。