Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます。壮大な自由研究帳 → 幹細胞みたいになってます。機能が分化した別館も併せてよろしくお願いします

複雑性PTSDとその治癒を古典的条件づけから説明してみる

 

複雑性PTSDがほぼ治ったような感じになってきて、いろいろなことの理解が爆発的に進んでいます。

 

授業の準備をしているときに、ふと、複雑性PTSDって古典的条件づけ*1の側面があるのではないかという気がしました。

 

古典的条件づけの説明に入る前にトラウマの説明をしますと、通常言うトラウマというのは、非常に激烈な体験によって精神に傷を負ってしまった状態を指します。

『トラウマの発見』*2によると、トラウマティックな症状が最初に報告されたのは、鉄道ができた後の事故で、列車事故は、それまでの交通機関では考えられないくらいの規模の大惨事を引き起こしました。大事故による被害は甚大でしたが、そのなかに精神に関わる症状があったそうです。

 

このように、トラウマあるいはPTSDという状態は1回でも起こります。

 

しかしながら、従軍体験が深刻なPTSDを引き起こすことが知られているように、長期の悲惨な体験もPTSDを引き起こします。

そのため、PTSDを1回性のものであるという風に定義づけることは難しく、1回の体験であろうが長期の体験であろうが、精神に悪影響をもたらす体験があると考えておいた方が良い気がします。

 

複雑性PTSDは杉山 登志郎氏の著書で知りました。*3複雑性PTSDというのはぶっちゃけ虐待もしくは虐待に準ずる環境において生じる長期にわたるPTSDです。

 

なぜ「複雑性」なのかというと、これは私の理解ですが、通常言われるPTSDは日常からはかけ離れた体験によってもたらされることが多いのに対して、複雑性PTSDは子どものまさに日常生活においてもたらされるからです。

 

虐待は子どもの日常において施されます。そして、日常生活を破壊し、日々漸進する発達を阻害し、発達の節目を壊し、人間関係を破壊していきます。

子どもが日々受ける冷たい目線や暴言、暴力その他によって、この破壊が進行していきます。

 

子どもは発達とともに家庭の外との関係を広げていきます。

家庭での関係や発達が基盤となって外との関係が作られていくわけですが、家庭での環境が破壊されている時点で、幼保こども園や学校での関係は作りにくくなります。

そして、外との関係においても不適切な状況が続いたりすると、問題自体が複雑化していくし、症状自体も建て増しを重ね、難治性のものになり、大人になっても症状を持ち続けていく。

 

杉山 登志郎氏の記述を発達心理学目線で書くとこんな感じになっているのかなと思います。

 

トラウマという状態自体はどういうものか。

トラウマの最初は生理的状態だというピーター・リヴァイン氏の説は個人的には非常に納得が行っています。*4

ただし、複雑性PTSDの場合は、生理的状態の上に感情、認知、人間関係などの変化が上乗せされれているので、事態が非常にややこしくなっているはずです。

 

以上が複雑性PTSDの説明です。

 

 

古典的条件づけに移ります。

古典的条件づけは、とりあえずパブロフの犬の実験だけを理解してもらうと足りるかなと思います。

 

パブロフの犬の実験は、生理的な条件反射を基盤にした条件づけの実験です。

犬はエサを食べたり見たりすると唾液を分泌します。

これは生理的な反応なので必ず出ます。

 

今度はベルの音を考えます。

通常はベルの音を聞かせても犬は唾液を分泌させません。

しかし、エサとベルの音を同時に提示することを繰り返していると、ベルの音を鳴らしただけで、唾液を分泌させるようになります。

 

本来ならば唾液を分泌させないはずのベルの音によって唾液が分泌される状態を古典的条件づけと呼びます。

 

古典的条件づけは、わりとあっさりとなくなります。

エサを与えずにベルの音だけを聞かせていると、そのうちベルの音を聞いても唾液が分泌されない状態に戻ります。

 

古典的条件づけの場合は、エサ→唾液という、犬が持っている生理的反応があくまでもメインであって、関係ない刺激(ベルの音)によって生理的反応が引き起こされる状態は、エサとベルの音が同時に起こる環境がなくなれば、すぐになくなるということですね。

 

これを複雑性PTSDにあてはめてみると、虐待は、偏桃体などの比較的プリミティブな脳の部位を障害することが知られています。また、恐怖も関係しているでしょう。ということで、虐待における恐怖は古典的条件づけによって成り立っているという考え方もできるのではないかと思います。

 

 虐待における古典的条件づけを考えてみます。

 

 

通常の意味では、親は恐怖をもたらす存在ではありません。

ですので、普通の場合は親はパブロフの実験におけるベルの音と同じです。

 

しかし、虐待においては、親は子どもに対して「衝動的に」暴言を吐いたり暴力をふるったりしますし、「うっかり」子どもを放置したりします。

 

これらの暴言、暴力は、日常生活の中で頻発しますので、

 

 

親+暴力・暴言 → 恐怖

 

が嵩じて、

 

親だけ(そのときは暴力はない) → 恐怖

 

が成立する。

 

さらに、

 

親に似た刺激(人や状況) → 恐怖 (般化)

 

も成立してしまう。

 

みたいなことになっているんだろうなと感じます。

 

 

 恐怖は一度条件づけられてしまうとなかなか取れないという話もあるので、パブロフの犬の実験ほど単純にはいかないと思いますが、

 

複雑性PTSD = 古典的条件づけ

 

だとすると、

 

治癒の方向性としては、第一に、親から距離を置いて、とにかく視界に入らない、連絡も取らない状況にしてみる。

 

諸般の事情により、ここ2,3年、親とは距離を取っていますが、親と距離を取り始めてから、激やせ状態から脱出しましたし、複雑性PTSDもかなり良くなったと思います。

 

これは、親から距離を置いたことで、親 = 不適切な介入 → 不適切な結果 → 恐怖や悲しみ みたいなものを基盤とする古典的条件づけが解消されたから、という気がします。

 

なので、親から距離を置いた上で、噴出してくるもろもろにアプローチするというのがいいんだろうなあと思った知ります。

 

治癒にあたって障害があるとすれば、学習性無力感*5だろうと思います。虐待の場合は、親から逃れられない→あきらめという行動を学習している可能性が大きいと思います。

 

しかし、親と自分は違う人間である以上、親の影響から逃れて生きることは可能です。

 

高橋和巳氏の著書*6で、心理的ネグレクト(確か)を受けていると思われる小学生に、高橋氏が、親は変わらないので、あなたは外で生きていける術を学習しなさい的なことを話すくだりがあるのですが、こういう働きかけは、虐待による学習性無力感を解消させる手助けになるのかもしれません。

 

もちろん、子ども一人ではできないので他の大人の手助けが必要ですし、大人になってからでも一人でやるよりは周りからの支援があった方がいいと思います。

 

 

*1:古典的条件づけ - Wikipedia

*2:NotFoundになっていますが、amazon.co.jpのリンクをクリックしたら飛びます。

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*3:詳しくは過去記事をご覧ください。coccolifestyle.hatenadiary.jp

 

*4:ピーター・リヴァイン氏の説については、ひとつ上の脚注でリンクした過去記事に長々と書いているのでそちらをご覧ください

*5:学習性無力感 - Wikipedia

*6:NotFoundになりますが、amazon.co.jpのリンクをクリックしたら飛びます。www.amazon.co.jp