Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます。壮大な自由研究帳 → 幹細胞みたいになってます。機能が分化した別館も併せてよろしくお願いします

ばつの悪い思いを乗り越える

あるときふと気づいたんですが、

 

今年に入って、

 

私、なんてことしてきたの!!!

 

みたいな、穴があったら入りたいような気分によくなってるなー。

 

 

 

要は、

 

己の未熟さによる行いに気づいた

 

ってことなんですけど、

 

 

気づいたときのばつの悪さったらないわー。

 

 

ま、そこは、やってしまったものは仕方ないし、気づいたというのはなにがしかの進歩があったから気づいたというのもあるし。

認めるしかないです。

 

やってしまったときの自分の不利益は自分で責任が取れる年齢なわけだし、人が被った不利益は、分かった時点でどうにかするしかないし。

自分が大げさに考えているだけで人とってはどうでもいい話だったりもするし。

 

 

誤字脱字レベルの間違いは日々山ほどやっていますが、分かった時点で修正をかければ問題なく進むこともたくさんありますし、後日であっても訂正すればそれほど問題にならない場合も多いです。

 

何かあったらすぐに修正をかけるとか、そういう反射神経を養うのも必要だと思っていますが、

自分の未熟さを認められないと、そういった反射神経が鈍る気がします。

 

なぜかというと、本来的には何かあったときには、問題解決や事態の収拾が一番に来るはずですが、自分の未熟を認められないと「自分は悪くない」=非難を恐れる方向にばかり注意が向く気がするからです。

 

非難を恐れることにばかり注意が向くと、人の声を受け入れられなくなりますし、防衛的にもなります。

 

ずっと何かを恐れているというのはあまり居心地がよくないので、進んでやりたくはないです。

 

 

ずっと恐れているよりは、いっとき恥ずかしい思いをしてすっきりしたほうが私的にはいいです。

 

 

ただし、そのときの自分を思い返して、それ以外の行動が取れたかどうかの評価もしています。

そのときの自分が、それ以外の行動が取れないのであれば仕方ないじゃないですか。

全部が全部解決できるものでもないですし。

 

というのを考えていくと、

 

あの人はどうして私みたいな解決方法にはならないんだろう?

 

というのも見えてきたりします。

 

 

私よりも明らかにすごいやり方をしている場合もあれば、私よりも明らかにしょぼいやり方をしている場合もあります。

 

 

自分とは違う解決の仕方の人を見ていると、大抵の場合は、入り口そのものが違っています。

私よりもすごいやり方をしている人の入り口を自分も使えるようになることが時々あって、それによって、自分の行いが飛躍的に改善される場合があります。

こういうのは結構面白い。

 

自分の未熟さに直面した時に感情に振り回されるのではなくて、実際の行いや結果、周囲への影響を冷静に見ることで面白いことがあるっていうことが分かれば、自分の行いに蓋をしなくてもよくなります。