Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます。壮大な自由研究帳 → 幹細胞みたいになってます。機能が分化した別館も併せてよろしくお願いします

突然の理解

朝起きたら突然理解してました。

 

客観的に見て、結構過酷な人生を送ってきたと思うんですが、過酷な人生を長引かせていたのは、自分で自分を呪うかのような姿勢ではなかったかと。

どうして私はこんなひどい目に合わねばならないのかとか、そういう思いです。

 

私のやっていることは、キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』みたいだなと思いました。

 

エリザベス・キューブラー=ロス - Wikipedia

 

死の受容のプロセス

エリザベス・キューブラー=ロスが『死ぬ瞬間』の中で発表したもの。以下のように纏められている。すべての患者がこのような経過をたどるわけではないとも書いている。

    • 否認・隔離
      自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
    • 怒り
      なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
    • 取引
      なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
    • 抑うつ
      なにもできなくなる段階である。
    • 受容
      最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。

 

 

現在、病で死に直面しているわけではありませんが、自分に起こることがあまりにも意味不明すぎて、怒りと取引を続けていたのではないかと感じました。

 

怒りも取引も実は外に目が向いていて、本当の意味で自分に向き合えていないのではないかとも思いました。

 

私自身はあたたかい人間関係と、健康で生活、仕事することを望んでいますが、それを阻む外的要因は確かにありました。

そして、その外的要因に対する怒りもありましたし、苦しい状況から逃れようとしてありとあらゆることを試していました。

 

そのプロセスは必要だったと思いますが、一方で、それらにかまけていることで、本当に望むものが遠のいてしまうということもあります。

 

たとえば、親への怒りは正常化に向かうきっかけになり得ます。

しかし、親への怒りは、あたたかい人間関係とは程遠いものなので、怒りで自分がいっぱいいっぱいだと、あたたかさへの道を見失うことにもなりかねません。

 

人への怒りを必要以上に持ち続けることは、自分自身を呪うことにつながっていくのだなと思いました。

 

幸いなことに、「好き」とか「嫌い」とかの側面で仕事を見ることも越えましたし、週5に戻った割には仕事にも生活にも余裕があるし、というのも突然の理解と関係していると思います。