Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます。壮大な自由研究帳 → 幹細胞みたいになってます。機能が分化した別館も併せてよろしくお願いします

「ありがとう」の積み重ねが人生を作る

昨日は西洋占星術における天王星の動きに仮託して、今変わり目かもというのを書いたのですが、書くと見るものも変わるもので、すごいブログを見つけてしまいました。

 

 

shinjakamo.seesaa.net

 

書いた方はすでに違う道を歩んでおり、ブログも終わっているのでリンクするのはどうかと思いましたが、かなりの割合共感するというか、「これ私のことじゃないの?」と思う部分も多々あったのでリンクさせていただきました。

 

書いた方は、某有名「カウンセラー」にハマったそうです(カッコ付きにしているのは、臨床心理学のキャリアは積んでいないので、ということで、その方の自称にはカッコはついていません)。

私がハマったのは違うコミュニティですが、ハマったときの心情ややってきたことはかなり被ります。

 

唯一違うとすれば、個人セッションやブログにおいて、嘘はつかなかったし今もついていないということでしょうか。

 

あとはかなり被ります。

 

一番大きいのは、

 

自分を客観視できなくなっていた

分不相応なお金を使った

 

ことだと思います。

 

そのあたりで社会生活に必要ないろいろなものが壊れます。

 

ハマり具合によって違ってきますが、通常の社会生活を営むにあたり、「目が覚める」という(何度かの)経験と、継続的なリハビリが必要になります。

というところまで書かれています。

そのあたりも共感します。

 

私自身の経験を言えば、個人セッションを仕事にしてみたこと自体、それから、そこで出会った人たちのことを否定するつもりは一切なくて、自分にとっては大切な経験だと思っています。

 

しかし、それとは別のところで、ハマっていた世界には弱肉強食・食物連鎖の側面が強くあって、私が食物連鎖の最下層に位置していたことは強く認識しておかなければならないと感じました。

 

食物連鎖の最下層というのは、結局、食われるだけということです。

 

お金が入ってこないだけならまだしも、お金と経験はリンクしていますんで、結局は社会人としての経験も積めないまま無為に時間を過ごしてしまうことになります。

 

正直なところ、個人セッションでの経験値と大学の非常勤での経験値は、大学の非常勤での経験値のほうが段違いに高いです。

どうにかこうにか食べられてますし。

(大学の正規の教員と非常勤講師との比較はまた別の話になります。念のため)

 

 というのは、2,3年前に気づいていたのですが、リンクしたブログを読んで改めて感じました。

 

そして、私に足りなかったものは、

 

 

本当の意味で感謝する

 

 

ということだったのだと気づきました。

 

 

「本当の意味で」と書いたのは、認知的不協和理論的な意味での感謝ではないということです。

 

アロンソンとミルズの認知的不協和理論関係の実験で、ハードルの高い入会儀式を経て入った組織は、組織の魅力が高まるというものがあります。

 

下記の記事が参考になると思います。

 

ameblo.jp

 

私の場合は、複雑性PTSDがらみの認知の変容というのもある気がします。

 

そういうちょっと歪んだ側面においてではなくて(認知的不協和は対人関係における正常なメカニズムではありますが、行き過ぎるとあまりよろしくない気がします)、もうちょっと素直に感謝するというか、あまりにも普通すぎてうまく書けないのですけれども。

 

それから、感謝されることについてもすごく鈍感でした。

当たり前のことなのに、どうしてこの人はこんなにありがとうと言ってくれるんだろう、みたいな感じです。

 

 

いろいろ振り返ってみると、今仕事がいただけているというのがめちゃくちゃありがたく感じました。

それに、今までに「ありがとう」と言ってくれた人や場面がたくさんあったこともありがたく感じました。

 

 

 

日常でずっと続いてきたはずの「ありがとう」の連鎖に鈍感であったから、個人セッションでどかんと「ありがとう」と言われたい、みたいなところがあったんじゃないかなと思いました。

「人から『ありがとう』と言われる自分」=「すごい(能力がある)」みたいな。

これは明らかに誤解で、人が「ありがとう」というときには、相手の気づかいや行動に対してであって、相手の能力にではないのですよね。

こういうのって、日常の「ありがとう」を心のどこかで意識できていたら多分要らなかったんじゃないかなと思います。

 

 

もちろん、これまでの人間関係では、感謝だけではなくて、怒られたこともたくさんあるし、クレームもたくさんあります。

それに、周囲の人は、当然優しい人だけではなく、厳しい人やばい人いろいろいましたし。

 

そういうのをひっくるめての「ありがとう」の連鎖であり、そこには必ず自分と相手の気持ちと行動が介在しているんですよね。

その積み重ねが自分の人生を作っているということなのだと思いました。

 

 

 食物連鎖の最下層に頭から突っ込んでいった時期は、そういう当たり前の関係の良さに気づかずに、劣等感まみれのくせにプライドだけは高くて自分のいいところも悪いところも見ることができていませんでした。

そして、勝手に袋小路に入り、高いお金を払って袋小路から脱出するためのツールを学んだという感じです。

袋小路から出られなくなる前に気づけよって思うんですが、食物連鎖なんていう劇薬を手にしないと出られない状態になっていたってことですね。

 

 

 誤解のないように書いておきますと、カウンセリングとか個人セッションとか、そこらへんの仕事自体が全然必要ないかというとそうは思っていなくて、

 

家族関係、友人関係、仕事関係みたいな、継続的で利害が生じる関係性以外の、第三者的な存在は必要になる場合が必ずあると思っています。

タダで相談に乗ったらいいじゃんっていう意見もありますが、カウンセリングみたいなものは基本的には専門的技能の提供で、それなりの訓練を積む必要があるので、料金が発生してしかるべきだと思っています。

 

※逆に言うと、訓練を積んでいないとトラップはいくらでもあります。守秘義務を守らないとか、転移に容易に陥らせてしまうとか逆転移に容易に陥るとか、上から目線のパワハラとか。私が一番最初に習った先生は、人格的には結構やばかったよなーと思うんですが、そこらへんの話は教えてくれました。施術者の身を守るためにも実は必要なことなんですよね。それに、私の場合は臨床心理学が専門ではなかったので心理学としての訓練は積んでいませんが、保育の現場に入り浸っていたので、どこまで話していいかとか、どうやって子どもや保護者、職員に自立してもらうかという点において、先生方が自然とやっていたことであったりもしますし、現場で知り得た内容は私もみだりに喋らないとかは気をつけていました。
一番上にリンクしたブログでは、ハマったコミュニティの「カウンセラー」や「講師」のみなさんは、そこらへんのトラップに引っ掛かりまくっているらしきことも書かれていたりしますので教えてないのかな。ちょっと怖い。

 

ただし、第三者の介在が必要になってくる人に支払い能力があるかどうかは別問題で、なければないなりのやり方をしなければならないということではあります。

そのときに、たとえば恩師に相談に行くとか、無料の電話相談を利用するとか、いろいろやり方はあると思います。

あくまでその中のツールのひとつとして、有料の方法があるというとらえ方ですし、お金をいただく以上は、相手の利益になることを選ばなければならないと思っています。

 

けれども、

そういう手段を提供するための方法を学ぶ際に、食物連鎖が必要かというとそういうことは一切ないと思いますし、

逆に、不健康なコミュニティにどっぷり浸かることで、相手に不利益を生じさせることになる可能性もありますから、慎重になる必要が大いにあるでしょう。

 

一番上リンクしたブログにリンクされていた記事をいくつか読みました。

私だけの経験かと思ったら、想像以上に裾野が広い状態ではないかと思いました。

 

 

これはリンク先にも書いてありましたが、食物連鎖にハマってしまったときにどうするかです。

ハマっている間はどうしようもありません。

しかし、うっすらこれまずい、と思ったときが自分も周囲も動き時というのはあるかもしれません。

そして、何度か繰り返して離脱する、という感じかなと思います。

 

 

そういうときに、出口を示すことはとても大事だと思いました。

出ていく先に場所がなかったら、出て行きようがありませんから。

 

 

出ていく先は、何気なくコツコツ経験する場所です。

それがイヤだからハマるということもありますが、食物連鎖って、気が休まらない場所じゃないですか?

 

ずっと何かが頭から離れない。

それはストレスMAXの状態なので、長続きはしませんし、長期的には健康を害します。

 

そして、「うまい汁を吸おう」と思ってやったことは結局のところは何も残りません。

長期的にコツコツやったことしか残らないんです。

 

いっとき良い目を見ることができるかもしれませんが、それは自分の精神安定や健康を差し出したことによって見える蜃気楼かもしれません。

 

コツコツやって周囲とちょっとした「ありがとう」を積み重ねていく世界は、非常に地味ですが、穏やかで結果的には力になります。