Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます。壮大な自由研究帳になりつつあります

『人間関係の疲れをとる技術』から読み解く 30代40代の毒親問題と親の老化

どうでもいい話から始めてしまいますが、新しく買ったニットセーターがこんなことに。 
同化してるやん!!

着た私も同化しますけど。当然。

 

f:id:cocco32:20170913094947j:plain

 

しかし、この記事を書いている時点では半袖Tシャツ1枚で過ごしているので、このニットを着るのはいつになることやら。

 

 そろそろトリ年も終わりに近づいてきて、手帳をどうしようか迷っていますが、キイロイトリが主役から外れるので、なんかイマイチ替える気になりません。

 

 

 

 下園壮太さんの新刊を読みました。

 

 

ものすごい大雑把にまとめると、感情のケアはまず疲れを認識して疲れを取るところから。

そして、自分の疲れの状態を把握すると、感情のマネジメントがしやすくなります。

実際の方法も書かれています。

 

読んで再認識したことは、感情のマネジメントというのは、非常に頭を使うんだよなーということ。

なので、頭が働いている間にケリをつけるというのがいいのですが、本にも書かれているように、私たちの対処方略で一番使いやすいのが「我慢」と「忘却」です。

それをやるといたずらに長引かせて、しまいには頭がうまく働かないところまで至りこじれてしまうという。

 

なんてことをつらつら思っていていたときに思ったのが毒親問題と親の老化について。

 

毒親問題も取り上げられていましたが、30代40代で浮上するケースが多いんだそうです。

私もその一例なわけですが。

 

30代40代で毒親問題が浮上してくる理由として、つらい思い出に固定されてしまうことが挙げられていました。

 

それは確かにあります。

 

私たちは見えたものに基づいて感じ考える傾向があります。

記憶もそうで、いい思い出も悪い思い出もありますが、悪い思い出ばかりに気を取られてしまうことが結構あるということです。

 

その理由は、本が主題としている「疲れ」が大きいでしょう。

疲れると悪い面に目が向きやすい傾向があるので、親とのイヤな思い出が浮上しやすいという面があります。

 

それだけなのかな?と思ってつらつら考えていましたが

 

親の老化というのにふと目を向けたときに

 

なぜ30代40代なのか。

 

 

というのがちょっと分かった気がしました。

 

30代40代で毒親問題が浮上する場合、2パターンあって、

 

  1. 幼い頃から親の束縛を受け続けて、30代40代を迎えた
  2. 若いころに一度(形式上だけであっても)親離れをして、30代40代のライフイベントなどがきっかけで毒親問題が浮上

 

(ライフイベントとストレスとの関係については、本のp.81を参照)

 

1に関しては、広く知れ渡るようになった、幼少期からの虐待、愛着障害の悪影響が大人になっても継続しているケースだと思います。これについては今回触れません。

 

2に関しては、いちおう健全な発達をとげているように見えて、中年期に崩れるケースです。

幼少期に虐待、愛着障害あるいはそれに近い人間関係で育つと、疲れやすいパターンが身に着いてしまうということはあるようです。

それが30代40代になって顕在化するというのは、身体が弱ってくる上にライフイベントてんこもりで自分の許容範囲を超えてしまうから。

 

それが、なぜ毒親問題に行き着くかというと、確かに、本に書いてあるとおり、身近な存在であった親への責任転嫁という面もあるだろうと思います。

 

しかし、それ以外の面もあって、それが親の老化ではないかという気がしています。

 

2の場合は、幼少期がどんな家庭環境であれ、一度自立して親も子どもの手を離したわけです。

子どもが20代のときには、大抵の家庭では親はまだ元気です。

そのときには、親側も、独立した家庭を営む気はあったわけです。

 

しかし、子どもが30代40代になると、親も段々弱ってきます。

弱ってきてひとりで生きる気力が弱くなってくる。

そのときに、子どもに頼りたい。

 

親が年老いて子どもに頼りたいという気持ちは自然だと思います。

子どもも、年老いた親を見て、世話しなきゃなと自然に思えるのであれば、それはそれでいいんだと思います。

 

問題は、親の頼りたいという気持ちが、束縛や暴言として表れたりする場合。

そのときに、子ども側が、「親も年とったなー」と冷静で見れる場合にはそんなに問題ではないかもしれません。

 

しかし、子ども側が親の束縛や暴言に嫌気がさして平静に振舞えない場合もあります。

そして、そういえば、「ウチの親は子どもの頃から気に入らないことがあると束縛してきたり暴言を吐いたりしていた」と思ってしまった場合。

こういう場合は、子ども側も辛いですし、「ウチは毒親だった」と認識する場合もあるだろうと思います。

 

確かに、子どもっぽい感情かもしれません。

しかし、子どもっぽい感情だろうがなんだろうが、そういう感情から出発するしかないことも確かで。

 

その感情自体を認めて鎮めていくことは必要だろうと思います。

そのときに、世間の常識でありがちな「年老いた親を愛情を持って世話をすべきである」という価値観は邪魔になることもあるので、一旦脇へおいておきます。

 

現在の親の態度がヒドい、というのは、辛い思い出がそういう風に見せているのか、本当にそうなのかは、親と少し距離を置いたほうが見えやすいです。

 

少し距離を置いた上で、親との関係を冷静に振り返ることと共に、親以外の人間関係をしっかり作り上げることに注力します。

 

なぜ親以外の人間関係なのかというと、私たちはすでに長い間(幼稚園入園くらいから)、親以外の人間関係の中で多くを得ているからです。

毒親問題」というのは、目線が親に固定されがちですが、本当に問題が出てきているのは、親以外の人間関係においてです。

本来的には、そちらで起こっている問題をどう解決していくのか、あるいは本当に問題なのかに取り組んでいくことが必要です。

 

なので、本来の問題に取り組む余白を作る上で、

 

疲れを取る、身体を休める

親と距離を取る

 

ということはとても重要なことだと思います。

 

発達上は、こういうことがいえるのではないかと思いました。

 

毒親問題は、20代までと30代以降は別モノとして捉えることが有効である。

 

20代までは、幼少期からの発達の連続上の問題として、不健全な親子関係、家庭環境の中で、健全な発達が阻害されたものとして捉える。

30代以降は、成人期以降の問題にシフトする、あるいは成人期以降の問題が加味される。本人の老化、ライフイベントの問題に加えて、親の老化による関係性の変化によって、不健全な関係が形成される、あるいは再浮上するものとして捉える。

 

 別モノとして捉えると何がいいかというと、

 

  • 親から自立してやってきた自分を認識できる可能性が高まる 
  • → 自分は問題を対処できる力があると認識できる可能性が高まる

 

ことが考えられます。