前回は本の紹介で長い記事を書きました。
その後追記なんかもしたりして、その結果、母親との関係について吹っ切れました。
現在の心境は、
まあ、しゃーないね。
だって、カード持ってないし。
手持ちのカードだと無理だよね。
ですかね。
ようやく肩の荷が降りた感じです。
この、しゃーないって感覚は、なんていうんでしょうか、憑き物が落ちたというのか?
非常にすがすがしい感覚です。
この感覚は十数年前、父親が70歳を過ぎて、年老いたことを受け容れねばならないというときと同じです。
あるとき、父はもう元には戻らないのだ、ということを悟りました。
それから十数年、徐々に弱ってきていますが存命です。
今回の場合は、元から得られるものではなかったことを悟ったというか。
母は、人の感情を察知して応答するカードを持っていなかったか、持っていても使い方を知らなかったか。
いずれにせよ、ない袖は振れない。
変な言い方ですが、親子関係はあるときから不良債権化するんだなーと感じました。
ないところからは取り立てられない。
取り立てられない以上、自分で払うしかない。
みたいな感じです。
それを納得するのは、かなり時間がかかりました。
そして、納得は突然やってくる。
これで終わりかと思ったら、次がありました。
恩師への感情。
恩師は大学から二十数年、ずいぶん長い付き合いになりました。
途中、関係が濃すぎて反発したり、ここ数年は、私の離婚やらなんやらで遠のいていました。
この夏に会う予定があるんですけど、
なんか、懐かしいなーとか、そういう感覚。
ちゃんと関係を築けた人へは心は戻っていくのだなーと。
そういうことを感じました。
幼少期の愛着関係は非常に重要で、愛着関係が形成されているか否かで人生のスタートに著しい違いが出てくるのだということを身をもって経験しているわけですが、
人生というのは、人生最初期の養育者(親とは限らない)との関係によって全てが決まるわけではない。
その後の人生で、さまざまな場所でさまざまな人と出会い、さまざまな関係を築いていきます。
その中で、自分の拠り所になる関係というのはあるもので。
(辛いときには見失いがちではあります)
ということを考えると、人生における学校のインパクトって大きいんだよなーというのを感じます。
もしかしたら家庭はうまくいかなかったかもしれないけど、学校では安全に、楽しく過ごすことができた。
そういうケースは山ほどあります。
そうなったときに、その人の人生の基盤は学校かもしれません。
多くの人にとって、学校は永遠に存続していくものだと思います。
永遠に存続してくという感覚があるから、その人の人生の基盤になりうるというところがある。
では、自分の学校が廃校になったら?
場合によっては、その人の人生の基盤(心理的な感覚)がぐらつくことになるかもしれません。
小中高の統廃合はすでにかなり行われていると思います。
今度は大学の番だなーというのはひしひしと感じますし、子どもが減る以上は、大学が減ることは避けられないし、私自身は大学ではないほかの生き方がもっと充実して欲しいと思っている派です。
なので、これからのことを考えると、新しいコミュニティが増えるといいなーと思います。
一方で、加計学園みたいに、新設の大学を増やす動きってどうなのかなーというのを感じます。
分野が違うので、獣医学系のニーズがどれくらいあるのか分からないんですけど、まずは、少なくとも数年とか十数年の単位で学生が集まるのかというのがひとつ。
卒業した学生の受け皿があるのか、社会に出て収入のある道にいけるのかがひとつ(社会に出て食べていけるかどうかは、今のご時勢かなり早い段階で大学の志望学部に反映されます)。
大学は卒業生を輩出して、卒業生の心の拠り所となる場所であるという意識があって作るのかということがひとつ。
この記事の主旨からは、一番最後が重要です。
慶應みたいにブランド力および人脈で押せる大学など稀で、そのレベルで考えると間違いますが、どういう大学であるにせよ、その中での人間関係が少しでも実のあるものであれば、その大学は卒業生の基盤となりえます。
22歳で卒業して、その後の人生は平均60年。
そうなると、大学というものは、数十年先も存続していることを計画に入れて運営していく必要はありませんか?
すでにある大学を云々できませんが、新設希望の大学はそこまで考えていますか?ということは一度見直してもいいのかなと思います。