Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます

【本】発達障害の薬物療法 & 自分の気づき

コメント欄で複雑性PTSDという言葉を教えていただき、本を一冊読んでみました。

 

 

発達障害の方を沢山診ておられる杉山登志郎さんの著書です。

 タイトルからすると、ASD自閉症スペクトラム障害)、ADHD複雑性PTSDの治療において、超少量の薬剤が著効することがメインなのだと思います。

精神疾患において、薬剤があまり効かないことがよくある。その影には、発達障害及び複雑性PTSDがある。たとえば、ASD解離性障害もある(虐待が疑われる)場合、幻覚で出やすくなったりするそうです。幻覚(解離性幻覚)が出やすくなると、統合失調症を疑われますが、統合失調症に効く薬剤が、解離性の幻覚では効かないということがしばしば起こり、そのため、薬剤を大量に出す、ということが相当数起こっているそうです。

 

同じような指摘が、少し前に読んだ高橋和巳さんの本にも書いてありました。

幼少期からの虐待が引き金で起こる大人のうつ状態には、通常のうつ状態に出す薬が効かないということがあるとのこと。

 

発達障害、虐待がらみの心の不調と、通常の(?)精神疾患とは別やりかたの治療が必要なのだというのは、発達に片足突っ込んでいる身としては一応頭に入れておかなければならないのかなーと思ったりします。

高橋和巳さんの本によると、虐待の場合は、自己同一性がない場合があるので、そういう場合には、認知行動療法内観療法も使えないとのこと。

 

杉山さんによると、EMDRおよびその簡易版によって、複雑性PTSDにおけるフラッシュバックやASDのタイムスリップがかなりよくなるとのことです。

これは、あくまで私の印象ですが、認知行動療法は時系列をつなげていくのに対して、EMDRというのは、時系列を断つようにできているのではないかと感じました。

ASD複雑性PTSDにおいては、不随意に過去の記憶にすっぽりと埋没してまるで現在を生きているかのように感じられる(タイムスリップ)、不随意に過去の激烈な感覚・感情・記憶が蘇る(フラッシュバック)も込みで自己概念を形成しているために、自己概念と現状とが、相当異なっている可能性があるのではないかと(自分の経験より)。

 

ようやく複雑性PTSDの話になりますが、

 

そもそもなぜ、子どもの虐待の後遺症がこれほど広範な問題に広がるのか、子どもの虐待によって生じる問題は、地震の災害や、交通事故、犯罪被害といった単回性のトラウマではなくて、反復性慢性のトラウマだからである。トラウマを「こころの骨折」と呼ぶことがある。この言い方に準ずれば複雑性トラウマとは「こころの複雑骨折」である。子どもの虐待の基本的な病理とは、圧縮すれば愛着障害と慢性のトラウマである。愛着は先に述べたごとく、人間を木に喩えれば根っこ、構造物に喩えれば基礎工事のようなものであり、さらに、慢性のトラウマによる脳の器質的、機能的変化を伴う。子どもの虐待の治療はこの愛着の修復と慢性のトラウマへの治療の両者が必要ということになる。

(『発達障害薬物療法』 p、40)

 

阪神淡路大震災PTSDになった者からすると、大災害によるPTSDを単回性と呼ぶのは少し抵抗があります。

なぜならば、大災害は、その後の日常生活の激変を招くため、日常の中にさらなるPTSDを引き起こす要素が仕込まれる可能性があるからです。

私の場合を思い出すと、大学4年時の阪神淡路大震災が引き金になって、20代全般、ひどいPTSDに悩まされていましたし、そのときに、ASD傾向が強まりその後の自己概念にも影響を与えていたように思います。

 

私の20代は、それまで積み重ねられてきた複雑性PTSDを元に、阪神淡路大震災 → 家の建て替えトラブルで母泣き喚く → トラブル発生時に単身赴任先の父が全く役に立たない(その頃父はアルコール依存症が表面化していたと思われる) → 母余計情緒不安定に → 叔母(父の妹)同居。母と叔母はあまり折り合いがよくないため、家の中が一気に緊張状態に → 私大学院入学、環境が一気にタイトに → 父定年で単身赴任先から帰ってくる。家の中が更に緊張状態に → 博士課程進学を期に家を出る → 博士課程の最初2年間は疲れが出すぎでほぼ廃人 → 博士課程2年目に借りていた家が隣家のもらい火(正確には水損)で居住不能に・・・・・

 

といった感じで、ライフイベントてんこもりであるために、どれが震災とその後の影響かを区別するのは難しいですが、少なくとも、家の建て替えトラブルによる母の変貌と叔母の同居は震災の影響です。これはかなり大きかったです。

 

というわけで、大災害によるPTSDを単回性と呼ぶのは少し待って、という気はするんですが、それでも幼少期からの虐待による複雑性PTSDとは区別した方がよいのは明らかです。

引用部分にも書かれているように、人生の基礎となる愛着の形成がなされずにいることがどれだけマイナスになることか、ということです。

『消防士を救え!』(加藤寛著)によると、自然災害によるPTSDは1割程度であるのに対して、従軍体験やレイプによるPTSDははるかに多い割合でしかも予後が非常に悪いそうです。

従軍体験は長期に渡ると考えられることから、完全に反復性のPTSDと言ってもいいのではないか。また、レイプに関しても被害を訴えたことによる二次被害や被害を訴え出ることができなかったことによる無理解が起こりやすいことを考えると反復性のPTSDといってもいいのではないか、という気がします。そして、この2つは、人間性の根幹や人への信頼性を完全に失わせると考えられます。そういう意味では、幼少期の愛着障害とも共通項を持ちそうです。

年齢によらず、愛情のある関係がいかに大事かというのを感じさせられます。

 

震災によるPTSDから立ち直ったのは、皮肉にも、隣家の火事による水損で借りていた家に住めなくなったときでした。

そのときには、大家さんから家族から友人から手を借りられる人の手は全て借りて、使えなくなった物を捨てたり、引越しをしたりしました。

このときに感じたのは、私一人が被害に遭ったからみんなに助けてもらえるのであって、震災のときにはみんなが大変だったから、助けてもらえなかったんだな、ということでした。

そして、思い切り動いて解決できたので、このときにはPTSDにはなりませんでした。新しく借りた部屋でいっとき寝込みましたが、それだけでした。

このときの経験は、後に心と身体をつなぐトラウマ・セラピー(ピーター・A.リヴァイン著) に出会い、独自のトラウマ解消法を編み出すにいたるきっかけのひとつになります。

 

 話がかなり逸れましたが、本に戻ります。

この本の主要な部分は、発達障害と虐待との関係性です。

 

発達障害と被虐待児は、類似した行動パターンを呈することがあるようだというのがひとつ。

発達障害、特に高機能のASDが虐待に遭いやすいということがひとつ。

 

そして、

実はもうひとつの要因がある。ASD児童の親の裏に、診断基準に満たない軽度の自閉症スペクトラムがしばしば認められることである。この問題についても筆者は、あいち小児センターにおいて病棟の運営が始まり、入院を必要とするまでにこじれたASDの児童の治療を行うまで気づいていなかった。知的な遅れのないASD児童の父親において、しばしば凸凹レベルのよくにた認知特性をもつ男性がいることは皆よく知っていた。だが入院治療をしたASD児童の母親の側に凸凹レベルのASDの女性がいた。ひとたびこの視点が開けると、こじれた症例とは親子関係のこじれであり、そのような例の少なからずにおいて、母親の側の凸凹レベル(しかも発達障害に関しては診診断の)ASDというパターンが極めて多いことにも気づかざるを得なかった。両親ともに凸凹レベルのASDというカップルが多いのは、要するによく似た認知特性の人同士が惹かれあうからだと思う。しかし子どもの側にASDがあっても、親の側にASD傾向があっても、ともに子どもの社会性の発達、なかんずく愛着形成には遅れが生じ、これが子ども虐待の高リスクになるのである。

(p.30~31)

 

発達障害や虐待が専門ではないものの、発達障害が虐待のリスクになることは知っていましたが、これほどまでとは思わなかったので考えを改めなければならないと感じまた。

 

また、DSMはカテゴリ診断ですが、杉山さんは発達障害を多因子モデルで見ることの重要性を書いています。

 

発達障害の罹病率と2012年文科省発表の通常クラスに在席する発達障害と考えられる児童生徒+支援クラス・支援学校の児童生徒の割合がともに1割程度とかなりの頻度にのぼります(p.19) 。

 

このような頻度が高い問題は、多因子モデルに合致することが知られている。多因子モデルとは、病気の発症に遺伝的な素因と、環境的素因との両者が関わるという疾病であり、その代表は高血圧、糖尿病などの慢性疾患である。ASDを例にとれば、遺伝的な素因の関与は否定できないが、それ以外の要因も大きく影響し、その発言のあり方は非情に多彩多様な形をとる。おそらくエピジェネティクス(epigenetcs;遺伝情報自体の変更なしで、遺伝情報のスイッチのオン、オフを行うメカニズム)も関与しているのであろう。むしろ最近の研究では、アレルギー、炎症などの遺伝的素因以外の問題の方がASDを生じる上で大きく関与しているのではないかということが定説になった。また、母親ではなく父親の側の出産年齢もASDの発症に関係することが報告されている。

(p.20)

 

私は京都市内の大学・大学院を出ていて、私自身は学生時代に発達障害には一切関わりを持たなかったのですが、交流のある研究室の人たちは、大津市と関わりのある人も多くいました。

大津市は、私が生まれた頃からすでに発達障害への療育が取り入れられているという非常に先進的な地域で、早期発見早期療育により、発達障害がかなり軽減されるということでした。

これは発達障害が環境要因に大きく左右される例だろうと思います。

 

一方で、わが身を振り返ると遺伝的要素が大きいのだということに思い至り、何かすっきりしたところがあります。

20代の震災のPTSDASD傾向が高まり、それが、30代末からの人生のやり直しに大きな影響を与えていると思っています。

しかし、今年に入って、ASDと思われる症状の殆どが消失してしまいました。

そうなってみると、今までASD系の発達凸凹だと思っていたのは幻か?

しかし、ASD系の認知特性は確かに残っているし。

何が起こっているのか少し変な気分がしていました。

 

しかし、いろいろ思い出してみると、両親も叔母も姉も確かにASDの傾向を持っているし、遺伝的素因はありそうだ。

そして、周りの理解があってそれほど激務でないときにはASD傾向はなりを潜めるし、ストレスやトラウマが増大しているときにはASD傾向が強まる。

私が育った家の成員にASD傾向が見られるということは、幼少期の愛着障害 → 複雑性PTSDになっていてもまったくおかしくないということ。

そして、ASD傾向を強める負の環境要因としては、生まれ育った環境が最も大きい。

この2年ばかり消化吸収機能が劇的にアップ・睡眠が深く取れるようになった→体重アップ・体力アップの道をひた走っているのは、もしかして実家に帰っていないからだろうか、というのをうっすら思っていましたが、ASD傾向(これには感覚過敏や慢性疲労、慢性疼痛などの不定愁訴も含まれる)の増大に親が大きく関与しているのであれば、それは思い過ごしではないかもしれないと思いました。

 

 ASD傾向と書いていますが、私ASDっぽいですと周りに言っても、誰も信じてくれませんでした。

これは何故かというと、ASDっぽいなどと言える相手は、発達のことをよく知っていたりある程度信頼がおけると思える相手であったからではないかと。

信頼がおけると思った相手には、おそらくASD傾向は出てこないとか、そういうことがあるんじゃないかと思いました。

それから、私の場合、実用性の知能が比較的高いので、何か不具合があったときに、解決方略を編み出しやすかった→比較的ストレス耐性が高かったということがあるんじゃないかという気がします。

 

あと、この記事を書いているときに、もしかして、私の場合は、ADHDの多動優勢型の並存かもなーと思ったりもしました。

記事を書いている間にフランキンセンスとベンゾインの樹脂が届いたので早速開けて溶かし始めてますし。

記事書き終わるまで待てんのかいって感じなんですけど、待てませんよ、待てたことないし。

ってADHDっぽくないですか。

 

周囲のADHDっぽい人を見ていると、ワーキングメモリが機能していて、攻撃性みたいなものがそれほどない人は、大丈夫な気がします。

ASDにしても、切れるとかパニックになるとか、暴言を吐くとかそういうものが前面に出なければ、ASD系の認知特性を面白がってくれる人は沢山います。

発達障害愛着障害複雑性PTSDというのは、確かにマイナスからのスタートかもしれませんが、発達しない訳じゃない、成長しない訳じゃない、好きになってくれる人が皆無なわけじゃない。

愛着障害の場合、最もほしい親の愛情を、最も必要な時期に得られなかったかもしれないけれども、周りには愛してくれる人が沢山いるんだろうと思います。

 

 【追記:学齢期の複雑性PTSDについて】

私の場合、複雑性PTSDが表面化したのは小学校1年生のときではなかったかと思います。

 

●私

小学校1年生の担任の先生があまりにもひどかった

友だちができなかった(ASDの影響あり?)

しもやけになった(血行不良の可能性あり)

 

●母親

その年に父(私の祖父)と姉(私の伯母)をあいついで亡くした

 

今思えば、母親は支えであった父と姉を亡くして、そこからのリカバリが難しい状態だっただろうと思います。

母自身もASD傾向あり、夫(私の父)もASD傾向ありで身近な死に寄せる気持ちやその表現というのも難しいだろうと思いますし。

そして、私の側から見ると、小中高と人間関係の難しいクラスが何年かおきにありましたが、私もその状態をうまく親に伝えることができず、母親も私の状態が何か変だというのを読み取れる人ではなかったので、子どもの対処法略ではできることはたかが知れているので、こじれにこじれました。

そして、おそらく、心情を吐露することが難しかったために、身体の不調が現れたかなーと思います。

小1のしもやけを皮切りに、小2は完全に解離、小3から視力低下、小4から頭痛、中2で低血圧、高校のときにはすでに慢性疲労と不定愁訴が完成していたと思われます。

 

発達障害は慢性疲労のリスクが大きいというのを見た気がしますが、それは、情報の取入れが受動的であるために、要らない刺激を受けやすい&取り入れた情報の取捨選択にエネルギーを割くからと思っていました。

それに加えて、気持ち(感覚・感情・思考)を感じて人と分かち合うことが難しい状況であるために、痛みや疲労として表現せざるを得ないということがあるのかもと思いました。

 

私の場合、父とは思考のやりとりがありました。父のものすごく狭いストライクゾーンにはまれば会話ができるというか。

父は数学教育をしていて、私も心理学といえども教育系への興味がものすごくありますが、それは、父の狭いストライクゾーンにはまった部分で人生が展開されていったというところはあるのかなと思います。

親も万能ではないので、どこの家庭でもそういうところはあると思いますが、ASD傾向のある方は興味の幅がものすごく限定されているので、余計にそうなりやすいかも、と思いました。

 

そして、母の方ですが・・・・私が小1のときに戻ります。

私の小1以降もものすごく大変でしたが、母の側からみたときに、近親者の死と子どもの就学というライフイベントのダブルパンチがあったことになります。

近親者の死というのは、もちろん大きなダメージになり得ます。

そして、子どもの就学は、母親自身のライフスタイルや人間関係も大きく変化させます。

そのため、親側からみても、大変なことではあります。

幼少期の愛着障害、虐待が学齢期の不適応につながるという話がありますが、これは、親側からみてもあるのかなーと。

愛着障害や虐待を起こすというのは、親側が人間関係やトラブルの対処能力が低いということがあるわけで、そうなると、親も、新たな人間関係への適応が非常に難しくなるだろうなーと。

 

 【追記その2:震災のPTSDを抜けた後】

 隣家の火事の水損で転居してすぐに、竹内敏晴さんの「からだとことばのレッスン」に通い始めました。

竹内レッスンの実質3年間で感じること、人と居ることを積み重ねてきたんだなーと今になると思います。

竹内レッスンに通っている人は、不器用で傷だらけの人が多かったです。

レッスンに通うまでは、おそらく、私の中には「感じる存在としての」他者というものは存在せず、レッスンの中で人と出会うことをしてきたんだろうなと。

私にとって初めての人との出会いは、同じように傷だらけになった人であったといえるかもしれません。

その後、これまた傷だらけの人と結婚して離婚して、その間にキネシオロジーの1年コースで傷だらけの人と一緒にやって、という感じですかね。

人は、自分を同じような人とつながりやすいというのは、シンパシーを感じる相手が自分と似ているところがあるから、というのがあるんだろうと思います。

 

自分と同じような傷だらけの人と一緒にやっていくという生活を10年くらい続けたでしょうか。

傷だらけの人と一緒にやっていくというのは、人間関係を学ぶ意味ではとても良かったかもしれません。

しかし、ひとたび傷が表面化すると、凄惨な事態になるというのも、何度も身をもって体験しました。

 

なので、傷だらけのまま一緒にいると共倒れになる!と気づいて、健康になろうという決意を新たにします。

その流れで今あるんだなーという感じですかね。