Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます

人はなぜ親離れができるのか

順調な発達の過程を勘案すると、親離れするのは思春期・青年期のあたりだと思います。

思春期・青年期あたりで親離れして、それと同時平行で社会に出られる自分を作り、出た先でパートナーと新しい所帯を持ち・・・・・というのがエリクソンの発達段階に依拠した見方かなと思います。

 

では、親離れを可能にする元はどこかというと、もっと遡って1歳半から3歳頃な気がします。

1歳半から3歳は親子の愛着関係を形成する時期であり、第一次反抗期の時期であり、自律性対恥・疑惑の時期でもあります。

この時期にべったりくっついたら、3歳以降離れやすくなる。

そういう時期です。

1歳半ごろには自他の区別がつくようになるといわれています。

自他というのは、この時期だとぶっちゃけ自分(子)と親(特に母親)との区別です。

自分とは違う親という存在を認識した上で、それでも一緒にいたいという気持ちが愛着だろうと思います。

 

愛着というのは、非常に美しく語られることが多い気がするのですが、

ホントにそんなに美しいものなのかなーという気もします。

だって、第一次反抗期だよ?激しい子はめっちゃ激しいよ?後追いもすごいよ?お母さんトイレ行けないよ?膀胱炎になるお母さん続出だよ?

それでも一緒にいたいと思える心情というのは何なのか。

 

子ども側からしたら、自分のイヤなところも受け入れてくれるお母さんが好き的な側面から語られることが多いのですが、ホントにそうなのか。

こういう母親像というのは、ぱぷりこさんの妖怪男女ウォッチ的視点でいえば、聖母みたいなニオイがするんですが、ホントにそうなのか。

 

むしろ、長年連れ添った夫婦のように、相手のいろいろなところを見て、失望もし、幻滅もし、でもまあええか的な、あきらめにも似たような境地ってないんだろうか。

言い換えると、第一次反抗期を経ることで、親も子も、お互いに、相手への変な幻想みたいなものを捨てられるというか。

だから、3歳になって言語能力とか社会性とかがついてくると、さっさとお友達のところへ行くというか。

 

思春期も同じことが起こって、親と子のぶつかり合いが生じて、そのときに、やはり相手への失望、幻滅みたいなものが生じて、友人関係、恋愛関係に走るという。

思春期には考える力がついているので、ある程度正確に親の能力も見積もれるし、幼い頃よりもその傾向は強くなるだろう。

そして親に対して過度の期待を抱かなくなり、新しいパートナーに対しても過度の期待を抱かなくなって、肩の力を抜いて付き合える、とか、そういうことがありそう。

 

愛着障害において、幼少期の親子関係に心が舞い戻ってしまうのは、第一次反抗期の時期に、親子の適度なぶつかり合いを経験していなくて、親からの愛情を美化してしまうからではないか。

私の場合は、最近、エインズワースの愛着のパターンでいうと、回避型ではないかという気がしているんですが、回避型の場合は、あるべきもの(ぶっちゃけ親の愛情)がないことで形成される部分があったりする気がします(そこまで明言してよいものかどうかは分かりませんが、少なくともウチの場合はそういう感じ)。

そうなると、親の愛情を、全てを受け止めてくれる聖母のそれとオーバーラップさせて、愛情がもらえなかった・・・・と思ってしまっていた気がします。

 

ウチの親は、ふたりとも子どもの気持ちを読み取れない人だったので、それはそれでひどいと思うんですが、

だからといって、親が子どもの気持ちを読み取れないことで結果的に生じた愛情の欠如→不安定な愛情の代わりに、聖母のような愛情をもらえたわけではないことは勘定に入れておく必要があるのかもしれないと思います。

 

聖母のような愛情なんてものはほぼどこにも存在しないから。