子どもの頃のことを思い出しました。
私にはあまりにも日常茶飯事だったので、それが当たり前と思っていたようなことでしたが、別に経験する必要があるわけじゃないことが沢山ありました。
父のことです。
父は、一緒に仕事をしている人のことを口汚く罵る人でした。
全員ではなくて、ある特定の人のことですが。
すごく好きな人もいて、好きな人のことは一切言いませんでした。
その落差が子供心に怖くて、大人になってからも結構固まってたよなーというのに気づきました。
それから、突然怒り出す人でした。
毎日昼寝をしていましたが、眠りが浅いのですぐに目覚めて「お前(ら)のせいで眠れなくなった」という風に言う人でした。
父が昼寝をしている間は戦々恐々としていました。
そういうことを突然思い出しました。
母と姉も突然怒り出す人ですが、子どもの頃からバトルを繰り広げていたし、ここのところ関係を変えていっていたので、現在ではある程度対処が取れます。
父は盲点でした。
父のことが怖かっただなんて。
しかも、父親だけに(大きいから怖いとか、怒ったら手がつけられないとか)、全然対処ができていない。
父親のことは好きだと思っていたんですけど。
そして、中学校のときに、この人は私のことを愛してくれていないというのも気づいていました。
だから、大丈夫だと思っていたんですけど。
中学校くらいで男子だダメになりました。
緊張して話せない。
思春期特有の現象が続いていると思っていましたが、違ったかもしれない。
父が怖い → 男性が怖い
かもしれない。
母も姉も突然怒り出しますが、穏やかな友だちも沢山いたし、母と姉の特徴であると思えていました。
男性の場合は、親しい友人がいたわけでもないし、一定以上の親密さになる人がものすごく少なかったので、父怖い→男性怖いという過度の一般化が払拭できていなかったのかもしれない。
(おまけに、結婚していた相手も上記のような特徴を持っていたので、よけいに過度の一般化を払拭しづらくなる)
日常のちょっとしたことなんですけど。
ちょっとしたことだからこそ、他のやり方があるとは気づかなくて、積もり積もってわが身を蝕んでいくということはよくあります。
父も「お前(ら)のせいで寝られなくなった」というのではなくて、「なぜ自分は昼寝に限って眠りが浅いのだろう」と考えられる客観性(メタ認知ともいいますが)があれば違っていただろうと思います。
今となっては父に言って仕方ない話なので、自分が「あのときは他に選択肢があった」と思えることで、「父怖いスパイラル」から抜け出せる気がします。
※ 私が育った家は、物事の随伴性がめちゃくちゃだったんだなー、そのため、世間でありがちな一般性を習得するのに、めちゃめちゃ苦労したんだなーというのも改めて思いました。