Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます。壮大な自由研究帳になりつつあります

コントロール不能から抜け出すには行動と結果の随伴性を学ぶこと

前回の記事の続き。

 

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そういえば人生最大のコントロール不能事件は中3のときだったなと思い出しました。

クラシック・バレエをやっていましたが、中2くらいからスランプに陥り、腰も痛め、父が単身赴任することになり、なしくずしにやめました。

 

やめたときの経緯を思い出すと、バレエに向き合えなくなって腰痛、父の単身赴任となったときに、母のスイッチが突然入って、「これはもうやめなあかん。私が先生に言ってくるから」と言って、母が先生にやめると言いにいって、そのまま先生にも会わずにやめました。

 

自分で納得してやめたわけではなくて、強制終了みたいな形だったので、半年くらい抜け殻のようになりました。

今考えるとその前後で確かに私のバレエ人生は終わっていましたが、終わっていたということを自分で納得させるだけの時間が必要だったように思います。

 

私の母や姉は、わりとこういうことをやる人で、突然スイッチが入って動き始めます。

スイッチが入ったときには、こちらの意思はお構いなしに動きます。

わりとこちらが弱っているときが多いです。

しかし、いつスイッチが入るかは読めません。

こちらからするとランダムな反応です。

そして、私が望むことは割とよく忘れます。

授業で使っている参考書を見た限りでは、こういうアトランダムな反応は、不適切な養育に入るのでは?という気がします。

客観的に見ると非常に恐ろしいことではありますが、客観的な記述と合わせて自分の生い立ちを見ていくことは必要かもしれないと思ったりもします。

 

泣いてばかりいた私に対して、母は「いつまでメソメソしとんねん」的なことを言いましたが、これも大人になった私からすると、「お母さん、それNGワード!」って感じですね。

抜け殻になってるときにキツいことばを浴びせたらよけい抜け殻になりますがな。

 

 

という状況を経て、本当に立ち直ったのは、大学受験のときかなと思います。

センター試験の結果が良くなかったので、志望していた国公立には受かるわけがない。

しかし、中3のときのグダグダはもう経験したくなかった。

高3の自分からすると、「ダメだった」という結果ははっきり出しておくべきだと感じました。

「やったけどダメだった」という事実を残しておかないと、「あのときこうしていれば」的な迷いの森に入り込むかもしれないと思ったのです。

 

結果として私立大学に行きましたが、大学院にも行って、研究室のメンバーとはまだ付き合いがありますし、人生全般では悪くない選択だったと思います。

 

行動したら結果が伴う。

 

当たり前のことではあるのですが、それが分からなくなったときにコントロール不能に陥るのではないかと思います。

なので、コントロール不能になったときには、行動と結果の随伴性を学ぶ/学び直すことで、コントロールする感覚を取り戻すことができる場合が結構あると思います。