※この記事、リンクした文書からみたら全く本題ではなく、めっちゃ横槍だなーと思ったので、一旦引っ込めたのですが、検索をかけてくださった方が多かったようなので、もう一度アップしたいと思います。
yahooで経産省の若手・次官プロジェクトのペーパーが話題になっていたので読んでみました。
不安な個人、立ちすくむ国家
~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~
平成29年5月次官・若手プロジェクト
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf
個人的には、このペーパーから見えてくる、優秀な国家公務員のパーソナリティが透けて見えそうだったのが興味深かったです。
私個人の動向として、周囲にマーシャによるアイデンティティ・ステイタスでいう「早期完了」タイプの人が増えています。
「早期完了」は私のパーソナリティからすると最も遠いといっても過言ではないので、理解するのに苦労するのですが、なんとなく、こういうことか・・・・というのが判った気がします。
「早期完了」というのは、通常はこういう言い方ではないですが、「持てる者」が子ども時代からの価値観をそのまま踏襲して青年期へ突入したというタイプです。
エリクソンのいう青年期の自己同一性というのは、社会的自己を目指してたくさんの試行錯誤を重ねることにより確立されるものであって、子ども時代の価値観の書き換えが前提になっているのではないかと思います。
「早期完了」とは、子ども時代から、かなりしっかりした価値観の中で育ち、価値観の変更をする必要がなかった人たちです。自己の揺らぎは少ないけれども、その分、自分以外の価値観へのまなざしがあまりないといわれています。
財も能もある国家公務員が日本の現状を分析したらこうなるのだ、というのがよく分かりました。
非常に分かりやすい。
しかし、うーん・・・・あたりまえ?
という気がするんですけど?
ただ、当たり前のことを分かりやすく説明してくれるのはありがたいですね。
それに、おそらく、内容云々よりも、これまであまり前に出てこなかった国家公務員が発信しているというのが、すごいことなのではないかという気がします。
内容ですが、
個人的には、このスライドだけでいいです。
これ面白いねーっていう紹介のつもりだったんですが、よく見ているうちに、突っ込みまくってしまいました。
終身雇用制が崩れて云々というのは常識ですが、終身雇用制および終身結婚制を全うできる人がどのくらいいるのかを見るには分かりやすいのかなと思います。
こういうデカいざっくりしたデータを見るときに気をつけたいのが、あくまで個別の統計を切り取って並べただけで、個人の人生行路を追ったものではないので、ひとりひとりのプロフィールとは相当ずれていると思われる点です。
私は、結婚して子どもが生まれずに離婚しているので、この図から読み取れるどこにも該当しません。
こういう図は要約なので、この図を見ているだけではなんとも思いませんが、仮にこの図を元に社会保障が改定されると決まった場合に、私はそれでも網からすりぬけてしまうのだと思ったら、なんとなくいい気分はしません。
(元から期待はしていませんが)
また、この図から読み取れることは、
終身雇用制が崩れた
というよりは、
終身家族制が崩れた
ということではないでしょうか。
1950年代生まれから1980年代生まれの人数の推移で、
「仕事コンプリート」は1950年代生まれでも100名34名とそれほど多くはないし、1980年代生まれの予想でも、27名であって、だいたい3割前後で推移。つまり、「仕事コンプリート」の数はそれほど変わっていない。
ただし、「仕事コンプリート」を「社会に出てから同じ会社で正社員として定年まで勤めること」と定義するならば、「仕事コンプリート」以外に分類された人の内容は2つの世代で違うのかもしれない。
たとえば、第1次産業に従事している人は、家業で農業・漁業をやっていて、高齢になるまでずっと働いていたとしても、「仕事コンプリート」にはカウントされないでしょう。
(ここらへんの分類・要約具合が「早期完了」っぽいと思ったりする)
一方、「家族コンプリート」は100名中81名から58名と、2割以上減少しています。
日本における社会保障の問題は、終身雇用制が崩れたことよりも、家族形態が流動化したことの方が大きい可能性はありませんか?と思ったりする。
たとえば、離婚した女性は、即貧困に陥る可能性があるという話を、ネットの記事でよく目にしますし、あまり出てきませんが、離婚した男性は、家庭というバックヤードがなくなったことで仕事への影響はありませんか?というのは気になるところです。
あと、非常に気になるのが、男女の分け方と母数なんですが、
一番下の「教育」の欄は、
女性100名、男性100名で計200名
になっています。
で、人生のコマを進めていくと、仕事と結婚のルートが別になっていて、各ルートの母数がそれぞれ100名になっています。
これって、まさか、
女性100名→結婚ルート
男性100名→仕事ルート
ってなってないでしょうね。
なってないですよね。
要約するために、仕事と結婚の交互作用はないことにしたいのは分かるんだけど、
少なくともここ30年くらい問題になっているのは、仕事と結婚の交互作用の問題ではないんでしょうか。
これをなしにしたら、問題は見えない気がするんですけど。
優秀な人たちが、国の運営のために能力を使ってくれているのは確かであろう。
しかし、自身が「仕事コンプリート」の道をまい進している中で、本当にその枠から漏れている人の状況を想像できるのかどうか。
といったときに、
スタートが男女各100計200から始まって、結婚ルート100、仕事ルート100に分けちゃってる時点で、結構厳しい気がするんだけど?
大きな仕事をする人は、庶民感覚を持っている必要はないと思っていますが、
それでも、初期設定が適切であるかを判断できるセンスは必要なのでは?
バリバリ庶民の私からしたら、「スタートはそこじゃない!」って気がめっちゃするんですけど?
書いた人のパーソナリティって・・・・
この記事はどう考えても横槍な記事ですが、
もっとまっとうな反論の記事はすでに業界を良く知っている方が書いていて、
個人的にはこれだけでいいです。
hirokimochizuki.hatenablog.com
上記をざっくりまとめ直すとこうなる。 "高齢者の増加によって国に生活保障される「弱者」が増えすぎており、このままでは財政的にもたない。高齢者への支出を削ってでも若者に投資すべき。高齢者への対応含め、公的課題の全てを国の責任とするのは現実的ではないので、人々が国を介さず自分たちの手で解決できる領域をできるだけ広げていきたい。" で、こういった考え方を2つにまとめるとこうなる。 ①「緊縮(=財政の縮小)」 ②「世代間対立(=財政の投資化)」
経産省「次官・若手ペーパー」に対する元同僚からの応答 - HIROKIM BLOG / 望月優大の日記
私がふわっと「あたりまえ」と思ったことは、こういうことやったのか、と、すっごくクリアになりました。
それから、「終末期の選択」を個人に委ねようとする怖さについても言及されています。
「終末期の選択」を個人に委ねようとすることに対しては私も反対です。
ただし、理由については違っていると思います。
終末期の処遇は、本人が選べるものではありません。
家族が握っているといってもいい。
もう少し言うならば、自分が生まれ育ち、自分が子どもを育ててきたその総決算が終末期に反映されると思った方がいい。
それは、そのときの個人の意志などでどうにかなるものではないのです。
それは、結婚でも出産でも同じ。
同じ会社にずっといられるわけではないという意味での「終身雇用制の崩壊」により、仕事でも同じ。
個人の意志だけで決定できることは殆どありません。
周りとの関係、そしてタイミングそういったものの中で決まってきます。
それから、経産省の次官・若手のペーパーでいえば、こちらの方が専門性が発揮されている気がして面白かったし具体性に溢れているので、進展がありそうな気がしました。
21世紀からの日本への問いかけ(ディスカッションペーパー)
平成28年5月 次官・若手未来戦略プロジェクト
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/018_03_00.pdf
第4次産業の交流の中、ポスト日本戦後モデルをどう作っていくのか?という問題意識ですね。
ディスカッション・ペーパーに関するインタビューはこちら(政策研究大学院大学 科学技術イノベーション政策研究センターというところが出しているようです)
http://scirex.grips.ac.jp/programs/download/Quartterly-no2-8-2016-02.pdf
こちらも変なところに引っかかってしまいましたが、1ページ目の最後のほうに、「たとえば僕らが当たり前と思っている定年制がありますよね」というセリフがあるんですが、ええ!当たり前なの!?定年制。と思ってしまいました。
高度経済成長以前や江戸時代の話を出すまでもなく、現在、すでに定年制って機能していないのでは。。。。。すごく新鮮な気分になりました。