Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます

生活快適度の最適値をどこに持っていくか

5連休です。

GWは例年天気がいいので、布団を干したりニットを洗っている間に半分くらい過ぎていきます。

せっかく長い休みなんだから、もっと外に出たらいいのに、と思わなくもありませんが、ベランダからいい風が吹いてくるのが好きで、結局家に居たままなんてこともザラです。

 

今回はヘナに挑戦してみました。

髪の毛がいうことをきかないし、目も悪いので、自宅染めは諦めていましたが、鮮度の高い石臼挽きのヘナはめっちゃ粘るらしくてこれなら私でもいけるかも?と思ったら、わりとあっさりとできました。

 

染めてから3日目なので、まだ髪の毛からい草みたいな匂いがしてます。

そろそろ色落ちはなくなるかなー。どうだろうか。

 

髪に色がつく以外のことも結構面白く、ヘナは毛染めであって毛染めにあらず、という感じがします。

 

使ったのはこちら↓

artbeing.com

 

離婚してからの4年は、結婚生活だけではなくて、仕事-社会的自己のあり方も本格的に見直したような時期でした。

心身の立て直しも大きなテーマでしたが、フリーでどこまでできるかなとか、いろいろ挑戦した時期でもありました。

が、結局のところ、生活基盤の見直しが一番大きかったのかもなとも思います。

 

自分の意識としては、心身と仕事がメインだったわけですが、呼吸するかのように自然にやっていたのが、家事だったわけです。

 

よく考えたら、20代後半で家を出てから20年近く、家事を一切やらなかった時期はあんまりないです(ないことはないですけど)。

それも、かなり自然発生的にやっていて、自然発生的だからこそ、あまり意識せずに続いてきたのだと思いますけど。

家事が自然に回るというのは、自分にとって結構重要で、4年の間にそのサイクルを取り戻したんだなと。

 

女性が仕事をするにあたり、21世紀に入って20年近くになる現在であっても、典型的なモデルとなるのは、

 

★朝から晩までバリバリ仕事する

★パートでちょっとだけ仕事をする

 

の2つしかない気がします。

 

しかし、朝から晩(というか8時9時10時まで)仕事をすれば家事は犠牲にせねばならず、パート的な働き方であればひとり世帯の経済は回りません。

もっといえば、派遣さん(私も派遣ではないにせよ似たようなものですが)は年々増加するにも関わらず、派遣さんのあり方が仕事のモデルとして機能していないというか、おそらくは派遣さんとして仕事をしている人の動機も生活の仕方も個人差が大きくて、一様のモデルと作れないんだろうなとか。

 

そんなこんなで、仕事と生活のあり方のモデルを見つけるのが難しいご時勢がずっと続いていて、その中での、試行錯誤だったんだなーと思ったりもします。

 

私の場合は、仕事の仕方がパートさん的ではなく(時間がないのでパートで入ったにもかかわらず、仕事の裁量が自分の仕事に合っておらずに常勤になった職場もある)、それにも関わらず、長時間労働はイヤという。

 

長時間労働がイヤなのは、体力がないので続きませんというのと、長時間労働しなくてもこの仕事量だと定時で終わらせられるだろ!というのと、プロジェクトに対して忠誠は持てるが組織に対する忠誠が持てないという、日本型の仕事社会では致命的ともいえるメンタリティを持っているというのと。

 

というのがあって、フリーで生きていく道を模索していたわけですが、

(フリーだと、実は仕事の時間が長くなったり不規則になったりしますが、理由のあることをやるのは大丈夫だったりする)

 

それだけではなくて、生活の基盤を削ってまで仕事をするのってどうよ?っていうのが大きいんだなと思いました。

 

生活の基盤というのは、家で適当にごはんを作って食べて、2,3日に1回洗濯して、適当な時間にお風呂に入って、ほこりがたまらない程度に掃除してっていう、低レベルのものではありますが・・・・・

 

しかし、この低レベルで維持されている生活基盤が、私自身にとってものすごく大事なのだなとこのGWで実感したりしました。

 

生活面でのモデルも、

 

★継続してものすごくちゃんと家事をする

★継続してスーパーでお惣菜を買ってくる

★継続してコンビニやスーパーでお弁当を買ってくる

★継続して外食する

 

みたいな極端な例しか上がってきていないのでは。

モデルだから極端でいいっていう話もあるんですが、普通は、これらのハイブリッドなわけで、ハイブリッド具合の最適値モデルがあってもいいのではって気がします。

 

で、最適値のパラメータをどこで取るかというと、これまた

 

★仕事にかける時間と労力(精神的・肉体的)を先に決める

★家庭を維持する時間と労力(精神的・肉体的)を先に決める

 

くらいしかなくて、人として心地よい生活のあり方を先に決めるモデルというのはあんまりないんだなー。

しかし、自分としては、心地よく家で過ごすというのが何よりも大事なのかも?という気がしてきました。

それが、低レベルのズボラ生活だったりするワケですが、低レベルは低レベルなりに、買い置きとか下ごしらえとか、いかにまな板と包丁を使わないかとか、つけ置き洗濯でどこまで行けるかとか、それなりのやり方はあるわけです。

洗濯物が溜まりすぎると心地がよくない、ホコリも溜まりすぎると心地がよくない、ごはんも適当な味付けでまあまあ栄養の取れるもの、みたいな、行き過ぎたら心地よくない下限ラインみたいなものもあるし。

下限ラインに近づけば近づくほど、心地は悪くなってくるので、普段はあまり下限ラインに近づかないようにして、どうしても仕方ないときは仕方ないか、で済ますとか、そういうセンサーみたいなものもある。

 

そこらへんの、生活快適度センサーみたいなものがちゃんと働いている間は、生活はもちろんのこと仕事も人間関係も結構大丈夫で、生活快適度センサーが壊れているときには仕事のパフォーマンスや人間関係もイマイチかもしれません。

もっとも、仕事や人間関係が先か、生活快適度センサーが先なのかは分かりませんが。

 

そして、

 

★生活の快適さ

★仕事にかける時間と労力(精神的・肉体的)

★家庭を維持する時間と労力(精神的・肉体的)

 

の3つがあったら、3ついっぺんに考えるのは3すくみになる可能性大なので、2つに絞るのがいいでしょう。

 

よく言われていた「ワークライフバランス」というのは、仕事と家庭のバランスだと思うのですが、あんまり成功していないように見えるのは、モデルが一様であることと、「生活の快適さ」が無視されているとうまくいかないってことではないかと。

 

生活というのは24時間ノンストップなので、無理のないものでないと続きません。

無理なく続くというのと快適さというのは、ある程度は関係していると思います。

 

なので、

おそらくは、

 

★「生活の快適さ」と「仕事」の最適値がどこなのか

★「生活の快適さ」と「家庭の維持」の最適値がどこなのか

 

を探ることは必要なのかなと。

 

「生活の快適さ」と「家庭の維持」の最適値の解は、クックパッドを見ていると結構分かったりします。

クックパッドはよく参考にしますが、私自身は、とにかく材料が最低限で手間も最低限のものを参考にさせていただくことが多いです。

必要な材料と工程はすべて揃っているという意味での最低限です。

そういうレシピは、「この人やりこんではるな」というのが分かります。

家族がおいしいと言ってくれつつ私も手間が減る、みたいなやつ。

 

 私は、キラキラ生活とか、流行のものとか一切興味がないので、クックパッドおよびクックパッド的サイトと実験の時間があれば暮らしていけますが、

美しいもの=快適な人もいるわけで、そういう人は素敵なカフェでくつろぐことが必要だったりします。

 

そこらへんの最適値は、自分で分かること、家族に分かってもらうことが必要なんだろうなと思います。