Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます。壮大な自由研究帳になりつつあります

どこへ行ってもわたし

坂爪圭吾さんのブログを呼んでいて、ふと、私もこういう感じになったんやなーと思いました。

坂爪さんから比べたら、私の影響力なんて小さいものですし、家もありますけど。

家もありますけど、1日で畳んで、次のところで開くことはできるよなーと。

ご縁があればどこに行ってもいいし、どこにいるかっていうのも特にこだわらないな。

 

 

非常勤であちこち行っていますが、若い頃は、こういう仕事のやり方だと、アウェー感がハンパなくて結構疲れていました。

今は、移動時間などが合理的であれば、特に疲れることはありません。

 

何でかなーという話ですが、常勤の職を3つ変わってその後の非常勤なので、コアな何かを抽出したんだろうなーという感じです。

自分の核になるものをつかまえることができれば、周囲が変わることはそれほど苦にはならない気がします。

 

生涯発達の発達段階を打ち立てたエリクソンは、ウィキペディアによると、ユダヤ系でありながら風貌がユダヤ系っぽくなく、成育歴も複雑であり、人生の途中でヨーロッパからアメリカに移住しました。

変転の人生の中で8つないし9つの発達段階を提唱したわけですが、解説書によると、「時代や文化などを共有している場合には、生まれてから死ぬまでの流れには共通点が見出せる」ということです。

その共通点が8つないし9つの発達段階および発達段階を動かすさまざまなメカニズムなんだろうと思います。

 

最初期のインフラが不安定で、かつ、あちこち移らざるを得なかった場合は、人生の基盤をこのレベルにまで求めないと安定しないんだという気がします。

時代や文化を共有するって、どこまで抽象度を上げたらいいんだって話です。

 

生れ落ちた家族と地域があって、その価値観にどっぷり浸かっているのであれば、エリクソンの理論はいらんわけですね。

人生のインフラが不安定であれば、拠り所は抽象的な概念にならざるを得ないなという感じです。

 

もっとも、エリクソンの場合は、奥様と二人三脚でやってきたらしき記述もあり、家庭を作る中で「成人期の生殖性対停滞性」の概念を作ったといえるのかもしれません。

なので、エリクソンが独身であったら、また違うことになっていたのかも?という気もします。

 

子どもの頃から「ウチの家はなんか違う」と感じていて(今になって、やはりウチの家は違っていたと再確認しているわけですが)、私も一般的な性向を持つとはいいがたいので、「コッコちゃんおもしろいわー」と言ってくれる人がいないところに行くと、なんか不安定になるというのはあったのかもしれません。

 

そういう不安定さはなくなりました。

どこへ行ってもわたし。

何をやっていてもわたし。

 

相手に対しても、意思の疎通ができればええか、という感じ。

 

***

これ以降は後日書いていますが、

 

「ウチの家はなんか違う」と感じていました。

それは、ずっと言語化・相対化できていなかったのですが、

少し言語化できたかもしれないので、書いておこうと思います。

 

端的にいえば、ウチは温かい関わりに欠けた家でした。

周りから見れば、親は揃っているし、ご飯も一緒に食べていましたので、そうは見えなかったと思います。

家族の中に巻き込まれる関係がなくなるとどうなるかというと、向かうべき中心がない、家族としての見通しがないまま育ち生活することになります。

 

「ウチはクラゲのようにフワフワと漂う家だ」と感じていました。

それは、家族としてどう向かっていくのかがなかったからだと思います。

 

中心と見通しがないと、自分の中がすごく不安定になるのだと感じました。

不安定のまま、そして、私自身も人とどう関わっていいのか分からないまま、ひとりでどうにかしようともがきながら生きてきました。

 

交流分析に、「禁止令」という見方があります。

交流分析の本を読んだときに、私は「生きてはいけない」という禁止令を持っていると感じました。

そこまでひどい養育環境だったのだろうか?と疑問に思いながらも、それでも、私は確かに「生きてはいけない」という禁止令を持っていると感じる。

 

なぜだろうか?と思うと、

温かいかかわりや家族としての指針がない場合、どうやって生きていいかわからない、そういうときに、ときとして「生きてはいけない」という禁止令を持ってしまうのではないかと感じました。

 

 こういう家庭で人が育つか。

育ちます。

他に温かい関わりがあれば。

ただし、非常に苦労しますが。

 

なければ、かなりシビアになるかもしれません。

父方は、早死にしたり、養護学校(当時)に通う人が沢山いました。

早死にしたのは結核のせいと思っていましたが、そうではなくて家庭環境だったかもしれません。

温かい関わりに欠ける人は育ちにくいというのは、随分昔から分かっています。

そういうことだったのかもしれません。

 

転機は20代から30代の始め頃だと思います。

研究のために保育園に10年通いました。

通っている中で「仲間に入れてもらっている」と感じていました。

育てなおしてもらっているとも感じていました。

 

沢山の人と関わる機会を持っています。

そのときに、「今、この手を離してはいけない」と感じることがあります。

今関わりを断つと、回復が困難になるケースというのがあって、どうにか自分の足で歩くことができるか、少なくとも軟着陸できるところまでは頑張ろうという感じです。

文字通り身体を張っていることも少なくありません。

 

これは、「心が死んでしまうかもしれない」自分に手を差し伸べてくれた人が少なからずいたこと、自分自身も「心が死んでしまう自分」の手を離さず/離せずに来たことが、今の人間関係に反映されているのかもしれません。

 

それに気づいたとき、今の心境や関係が変化しないわけはありません。

「危ないときに手を離さない」というのは、私の人間らしさでもあり、しんどさを作ってきたクセでもあると思います。

おそらく、他のやり方もあるでしょうから、無理に持っておきたいクセではありません。

どうなるだろうか、これから。