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Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます

AIAIゆうけど、AIを置く環境を設定するのは人間

人工知能が人間の職を奪うという話がネットで結構出てますが、確かに、単純計算は、人工知能でなくても、プログラムに任せたいところです。

 

 

人工知能が騒がれなくても、ここ数十年そういう流れになってきていると思います。

近所の東急ストアは、商品のスキャンはスタッフがやって、支払いは機械だけのレジが増えてます。

 

ということで、なんらかの形で機械が人の職を奪うということは、すでに数十年かけて起こっていることだと思います。

 

で、人間が生き残っていくために必要なのは、オリジナリティ、発想力、想像力、という話もあって、それも異論はないのですけど、

 

オリジナリティというと、たとえば、芸術とか科学とかそういう方向に行きがちなんですけど、

 

私たちの社会にあまねく必要なのは、

 

環境設定をする力

 

ではないかという気がします。

 

AIは、確かに、何か明確に指示を出したらすごい力を発揮します。

しかし、置く環境を間違えたら、多分働けない。

 

チェス、将棋、囲碁といった、人間の知的営みの最たるものといえる分野において、AIが勝利を収めるニュースが報道されています。

それは素晴らしいことには違いなく、これらのプログラムを作った人たちは、賞賛されて然るべきでしょう。

 

しかし、

 

将棋AIが仮に、生命保険の診断ページに埋め込まれたとしたらどうなるか。

将棋AIは、生命保険が降りるかどうかの判断ができるかどうか。

 

というと、現状では、おそらく無理なのでは。

 

何が言いたいかというと、AIは、AIが適切に働ける場所を提供されて、初めてAIとして働けるという制約があります。

 

AIが働ける場所があるかどうかを判断するのは、人間です。

AIが適切に働ける環境を設定するのは人間です。

 

その判断が下せる能力というのは、一般には、「管理能力」と言ったりするのでは。

私たちの創造力というのは、思ったよりも広い範囲に広がっていて、芸術的センスなどにはとどまらないということです。

 

AIが仮にこれから普及するとして、そういう社会で必要とされるのは、「管理能力」なのかもしれません。

 

時間軸と空間軸を想定して、自ら動き、周囲に示唆を与えることが出来る存在。

そこらへんの能力は、30代後半になると当たり前に要求されるものだと思います。

しかし、30代後半に、管理能力を発揮してもらうには、20代で身体を動かして、失敗も山ほどする経験が必要です。

それを担保するだけの心の余裕が組織にあるかどうか。

AIの台頭は、実は、人間の度量を試されているのではないだろうか。

 

20代に試行錯誤を重ねてもらうには、AIと人間とが、仕事において共に学び育つ環境が必要なのでは。

人間がAIにリプレイスされるのではなくて、人間とAIが混在して育つ環境、みたいな。