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Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます

モデルは必要

年を越すと、なんかもうすぐ誕生日やなーって気分になります。

2月に入るとホントにもうすぐ。

今年で45歳なので、アラフィフです。

別に四捨五入せんでも全然いいんですが、1年くらい前やったか、姉に、「(自分が)アラフィフやでアラフィフ」と言われて、ああ、私ももうすぐ50歳なんかーっていうのを感じたのでした。

 

 

40代はどうなろう、というのはなんかありました。

30歳過ぎぐらいに、友だちの披露宴に履いていく靴を見ようとフェラガモに入ってみたのですが、そのときに対応してくれた女性みたいになりたいというのがありました。

 

どういう店員さんだったかというと、流行とかそういうのはおいといて、私に似合う&披露宴だけに終わらない靴を出してくれました。

そのときは、よれよれのTシャツとタイパンツで店に入ったのですが、そういうのも嫌な顔をせずに、そのよれよれの服にさえあう靴を履かせてくれたのでした。

 

そのときに、自分の好みとか関係なしに相手に合わせて何かできることがあることを知って、そういう人になろうと思ったのでした。

店員さんの実年齢は分かりませんが、おおざっぱに10歳くらい上?な気がして、40代はこういう人と思ってやってきた節があります。

 

40代になって5年ほど過ぎて、まあまあ達成できてるんじゃないかなという気はします。

 

で、50歳が目の前に見えてきたときに、さてどうしようかと思うと、

 

これがまた、今のところ身近にはいない。

困ったなー。

 

と思いつつ、いろいろ幅を広げて探している最中。

 

あ、モデルといっても、その人のコピーになるわけではないですよ。

こういう方向に行きたいという想像をかきたててくれる人物像っていうんでしょうか。

 

最近気づいたのは、仕事のモデルと家庭のモデルの両方が必要で、私の家は、仕事のモデルはある程度は機能していたのですが、家庭のモデルが一切機能していなかったということです。

 

自分が生まれた家にモデルを求められないからといって、それで人生終わりかというとそうではなくて、かかわった人にモデルを求めるとか、読んだ本とか映画にモデルを求めるとか。

どういう生き方をしたいのか。それは、おそらく一生考え続ける必要があるのだと思います。

 

統計によって状況を把握するのは面白い営みですが、それとは別に、一人の人間としてどう生きたいのか、というのは必要なのかなって感じたりします。

 

なぜかというと、統計は「代表値」の表現なので、調査対象(≒母集団)の要約なんですよね。

この集団はだいたいこういう傾向がありますってこと。

それに当てはまる人もいれば当てはまらない人もいます。

なので、一般的な傾向を論じたいのであれば使ってOKなんですけど、もう一歩踏み込んで、自分とか、その集団のサブグループのことを論じたいのであれば、もうちょっと違うリソースが必要ってことです。

 

そのリソースをどこに持ってくるのかはその人それぞれですが、自分が生きたい、つまり未だ来たらずの世界は、自分の感覚に頼るしかない部分も大きいですから。

ただし、自分の感覚を呼び起こすのは、現実に見聞きしたものなので、そういう意味でモデルは必要ということです。