Cocco Lifestyle blog

日々の「実験」について書いてます

心理学卒業?

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という記事を書き、追記もしたのですが、まさかの展開になっています。

そういう意味ではこの本とはとてもいい出会いであったと思います。

 

私が書いたことが、他の人からみてどう判断されるかは分かりません。

「そうだね、確かに」なのか、「そんなことはないと思います」なのか。

しかし、自分では、「ウチの家は変だった」というのが確信になってよかったと思います。

ずっと「ウチの家はなんか変・・・・」と思っていましたが、何が変なのか分かりませんでした。

それが、自分の中で腑に落ちたというか。

 

高校時代に大学で心理学を学びたいと思ったのは、臨床畑に進みたかったからでした。

行った大学などの関係で発達に進みましたが、発達を研究する中で、常の心の中にあったのは、「健全な場とは何か」ということでした。

その発想はある程度は功を奏し、いくつかは業績を残していますし、教える上での拠り所になっていると思います。

 

その発想の根底にあったものは何なのか。

なぜ臨床に興味があったのか。

というと、「私は、ウチは変なんだけどどうして?」という幼い頃からの疑問をどうにか解消したいということではなかったか。

 

研究に関する動機(自分の目的で研究を進めるという意味)はすでに枯渇していて、残っていたのは己の生い立ちについての疑問だけであった、という状況ではなかったか。

 

ウチの家は変で、それは起こってしまったことで、今更言っても仕方なくて、いいことも悪い事もあって、それ以上はどうしようもないのだ。

 

ということが分かって、果たして私はこれからも心理学を続けるのだろうか?

 

となったときに、心理学を土台としてやってきたこと自体がなくなってしまった今、私はどうしたらいいのだろうか?

 

とはいえ、迷うとか惑うとかそういうものとは程遠い、静かな心境ではあります。

 

 

【本】消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ

 

当比主閲子さんのブログで紹介されていて興味を持ち読みました。

 

著者の高橋和巳氏とは面識があるわけではなく、複数の人が例に挙げられているので、そんな訳はないのですが、私のことが書かれていると思いました。

 

ここ数年私のしんどさを様々な手段を通して解消するべく努めてきて、実際に体力も上がってきたのですが、

ここへ持ってきて浮上してきたのは、私が育った家は虐待の家庭ではないか、私は愛着障害ではないかということでした。

 

愛着障害というのは「私が」親との関係を築けなかったという点において、自分の問題として受け容れやすいですが、虐待というのは非常にいいにくいです。なぜならば、虐待という行為は、私自身の行為ではなくて(私側に誘発している何かがあったとしても)、明らかに親の行為だからです。

親の行為をそういう風に言うのははばかられる、というある意味まともな感覚が私にもあったのだなという気がしているのですが、それだけでに、私の感覚だけには拠らない客観的な指標のようなものが欲しいと思っていました。

 

著者は、児童虐待の分類として、法に定められている身体的虐待、ネグレクト、心理的虐待、性的虐待の4つに加えて、5つめの心理的ネグレクトを挙げています。

 

心理的ネグレクトというのは、

 

親が子どもとの間に愛着関係を作れず、その結果、子の心理的発達が阻害されることである。つまり、愛着関係の不成立=心理的ネグレクトである。

心理的ネグレクトを付け加えた理由は、法に定められた4つの虐待があれば、それには必ず心理的ネグレクトを伴っているからである。つまり、すべての虐待の背景にあるのが心理的ネグレクトである。

たとえば、身体的虐待があれば、その背景には、親は子の身体的、精神的な悩みに無関心で、子の気持ちを読み取れないという心理的ネグレクトがある。他の三つ。ネグレクト、心理的虐待、性的虐待もしかりである。

一方、心理的ネグレクトだけがあって他の4つの虐待は見られないこともある。心理的ネグレクトだけを見ると、具体的には、子どもに声をかけない、子どもが甘える気持ちに気づかない、子どもが落ち込んでいたり喜んでいたりしていても無関心である、子どもが悩みを相談していても内容をくみ取れない、子どもが泣いていてもいたわる言葉をかけられない、子どもが喜んでいても一緒に喜べない、などである。

(p.136~137)

 

心理的ネグレクトだけ」に該当する自分自身の事例は沢山あります。

 

泣いたときに母親が慰めてくれた記憶はなく(いつまで泣いとるんじゃ!的な言い方をされる)、学校での長期のトラブルも無関心、離婚のときにも慰めてくれることはなく離婚した相手のことを心配する、(元)夫婦ともどもお世話になった母親の親戚に離婚のことを母が知らせてくれるはずだったのがすっかり忘れており、それを言うと「たいしたことじゃない」と言われる・・・・・などなど。

 

その他のこと、ご飯はきちんと食べさせてもらえたし、大学までの学費も出してもらえたし、看護師だったので病気とか怪我のときにも大抵は処置してもらえたし、心理的なケアだけがすっぽり欠落していたような感じだった気がします。

 

【追記】

書いた後にいろいろ思い出しました・・・・(汗)

ウチは本当に心理的虐待はなかったのか?

たとえば、食事場面で私が喋ろうとしたときに限って私の言葉を遮って話し出すとか(これは当時の父と姉も同意)、そういうのは、心理的虐待に当たらないのだろうか?私は、親に相談するということが殆どありませんでしたが、話そうとしたときに遮られることで「言っても無駄(=学習性無力感)」を形成したのではなかったか?「親に言っても無駄」は明らかに学校でのトラブルではマイナスになっていますし・・・・

また、コッコ家用語に「野垂れ死ぬ」というのがあるのですが、そういう言葉が普通に飛び交う家って・・・・?

私の母は、話し言葉が非常に拙いですが、ないわけではないです(書き言葉やテストは得意)。そういう人が子どもの心理的問題をスルーするだけということはありえるのだろうか?否定的な感情に彩られた言葉自体が子どもの発達を阻害するということはないのだろうか?

心理的ネグレクト「だけ」というのはどういう状態なのだろうか?子どもに対して殆ど喋らないとか?否定も肯定もなしに話しかけるとか?というのをふと思いました。

母に悪気があったかといえばそういう訳ではありません。しかし、子ども(この場合は私)の発達と日常生活という面では、明らかに母の行動が健全さを阻害しているという面があります。「虐待」となると、行為者と被行為者がいるわけですが、その人たちの関係性だけでなく、発達や日常生活の健全さが保障されているかどうかという機能的な面も考慮に入れる必要があるのだと改めて思いました。

 

 

子どもの頃、ある時点からすごく身体に不調が出てくるようになりましたが、それってもしかして、メンタルの不調だけだと母親に気づいてもらえないから?という気もしてきました。

 (それだけではなくて、愛情の欠落が発達にどれだけ悪影響を及ぼすかということになると思いますが・・・・)

 

心理的虐待の説明の中に、小さい頃からの心理的虐待は小学校に上がったときや思春期、働きだしたときに生活のストレスが重なると、一気に出てくることがあると書かれています。

その内容が心あたりのあるものばかりで、p.134に書かれている中で、緊張の糸が切れて心のバランスが崩れる、精神的な混乱、錯乱、理由も分からないまま動けなくなる、現任不明の疼痛、執拗な消化器症状が続いたりする、普通の日常生活が送れなくなる(1つ2つを除きほぼ全部)というのは経験しています。

母親の場合は、罵詈雑言の類は無かったと記憶していますが(現在のところ)、無関心というのも結局は同じであると思うと、愛着の理論はすさまじい威力を持つものだなと他人事のように思ったりもします。

 

この本のよいところは、不調に関する事例だけではなくて、回復の過程まで書かれていることです。

被虐の人たちは、「普通の」世界を取り巻く辺縁の世界に生きていて、普通の世界に生きる人には辺縁の世界は見えないが、辺縁の世界からは境界が見える。

そういう世界に住んでいた実感が私もありました。

 

辺縁の世界に住んでいる人は、普通の世界になじみたいと努力に努力を重ねますが、そのときに起こることが2つ描かれています。

 

ひとつは、ランダムに罰が与えられる家庭で育ったがために社会のルールが分からないまま小学校に上がり、低学年のうちは社会のルールが分からないままヘンなことをしてしまうのですが、社会でのルールの方が、家庭でのルール(あると言っていいのかどうかも分かりませんが)よりも断然簡単なために、高学年になってルールを見切ってからは適応が早いということです。

家庭における被虐の影響は、ときとして発達障害を疑わせますが、慎重に見て行くと、発達障害ではなくて被虐の影響であったということがかなりあるようです。

 

小学校低学年では学校での適応が悪く、高学年になってからは適応がいいというのは、私もそうでしたし、前に使っていたFCブログで「発達障害かも」とボソボソ書いていましたが、これも家庭での悪影響であれば納得できます。

というのは、「発達障害かも」と思わせる認知の歪みは、ここ2年ばかりですっかり消失してしまったからです。

ここ2年ばかりは、母との関係の棚卸しをしていて、あまりにもあほらしくなったので、実家にも帰っていないということが続いていたりします。

書いていて今気づきましたが、母との関係を棚卸しし、実際に母とも話して、結果、実家に帰らなくなっ時期と、胃腸の調子が劇的によくなり眠れるようになった時期がもしかして被っているのでは。

(体調を上げるために、母との関係見直し以外のこともやっていますが)

 

 もうひとつは大人になってからの回復の過程です。

義務感から頑張りすぎて、30代から40代くらいに、動けなくなってしまうという状況に立ち至った人たちが紹介されています。

その人たちは、自分が虐待を受けていたと気づいたときに、一時的に混乱に見舞われますが、その後自分の心が変わってくることで人生や関係が変わってくるというプロセスを経ています。

 

蛇足ながらなぜ義務感から頑張りすぎるような事態に立ち至るかを、この本の内容に即しつつ自分の履歴を振り返ると、私の場合は、五感がかなり鈍っていた/過敏になっていて、随分長い間「おなかが空いてごはんが美味しく感じる」とか「心底嬉しい」といった感情を味ったことがなかったことがひとつ。

もうひとつは、幼い頃から「賽の河原」の石積みのような状態になっていたこと。三途の川の前で子どもが石を積んでいると、鬼が来て壊してしまうというやつです。やったことのフィードバックがランダムだったり間違っていたりすると、積み上がっていかないのだと思います。

特に小学校以降。少なくとも小学校1年生、2年生くらいであれば、学校の準備は親が手伝ったほうがいいと思います。私の家では、母親が手伝ってくれたことはありませんし(母曰く「できると思っていた」とのこと)、用意されたことが間違っていたなんてこともしょっちゅうでした。おまけに、姉も同じような状態で自分で準備していたと思われ、かつ、かなり注意力のない人なので、私のプリントを間違えて持って行ったとかそういうこともあったとか(私は覚えていないけれども、大人になってからカミングアウトされた)。

忘れ物があると先生から注意を受けますが、子どもの側からすると、何が問題で失敗しているのかが分からない。かくして、常に失敗する恐怖におびえながら、常に細心の注意を払って準備をして、無事に乗り切っても次のことが心配で気が抜けないというループが形成されることになります。

私の場合は、相手の気持ちを読むのはあまり得意ではありませんでしたが、状況を読むのが得意だったので、高校くらいには、かなり精度の高いシミュレーションを行うことができるようになっていました。そのため、状況よりはかなり楽に過ごすことができたいたと思われますが、ときどき疲れ果てることがありました。

今考えると、手の内を見せてくれない人、あるいは、言うことをころころ変える人、感情がランダムに激昂する人などに巻き込まれて何をやってもうまく進まない場合でした。

離婚もこのパターンだったなと書いていて気づくわけですが、幼い頃から積み上がらないが故の緊張を抱えて生きていると、私だけでなくて30代40代で疲れ果てて動けなくなることがあるんだなあと感じました。

 

 

 

本書に戻って

 

回復の方法は、理論的には二つある。つまり、

①社会的存在を生き直す方法(規範と感情を共有する)

②社会的存在と生命的存在をともに生きる方法

この二つである。

二番目の、社会的存在と生命的存在をともに生きる方法は、。社会的存在を生きながらもその中に完全には入り込まずに(つまり、規範を背負い込まずに)、存在の一番深いところの生命的存在を維持しながら生きる方法である。

(p.276)

 

私は随分長いこと(1)を希求してきた気がするのですが、実際は(2)に乗っていたのだとやっと気づきました。

ここ3年ばかりはエリクソンの心理社会的危機を道しるべに生きてきた気がしますが、このレベルの理論をガイドラインにした時点で、社会規範にどっぷり浸かって生きていくことはできないのだなーと。

しかも、最近は発達の非可逆的変化から可逆的変化へとシフトしている感じもあって、その時点でエリクソンすら使えなくなってきているし。

 

 読んでいる最中に感情が溢れてきて止まったりもしましたが、ともかく読み終わって、私自身の中にあった2つの縛りを捨てることができそうだと思いました。

 

ひとつは、母から愛情を貰うことは金輪際ないだろう、そして母の愛を求めることもしなくてよいし、母に愛情を返そうとしなくてもよいということ。

もうひとつは、「普通の」世界や社会規範を希求しなくてもよいこと。私はこれまでの人生の中で、一応社会で不可はない程度の社会規範は身につけており、それ以上のものは必要がないことが分かったこと。それ以上の社会規範を励行しなかったとしても、誰も気づかないし気づかない以上何も言ってこないから。

(「普通の」世界に住む人たちは自分たちの価値観以外のものがあるとは思ってもみないことであるし、辺縁に生きる人たちはそのような社会規範を持ち合わせていないことが多いから)

 

 

シャタドゥルタグルタを作ってみた

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シャタドゥルタグルタを作ってみました。

ギーに水を混ぜながらねりねりして作ります。

本場の作り方は水を加えて100回回す×3日だそうですが、半日くらいで根気が切れたので、いろんな意味でなんちゃってです。

 

今のところ一応クリームっぽい形状を保っています。

 

ギーはバターで作っているのでベタベタすると思いきや結構さっぱりした感触です。

ギー自体がかなりあっさりしていますが。

 

作り方などを調べていると、乳製品特有の匂いがあるので、部分使いにするか他のオイルに混ぜるか、精油で匂いをカバーするかがお勧めされていました。

とりあえず少量を別容器に取って、精油を混ぜ込むと匂いは割と気にならなくなりました。

 

ボディ、顔用のオイルが増える・・・・

リファラ・ギーで鼻のナシアもやっていたりするので、家でできるところは行き着くところまで行き着いたかも。

 

 

コントロール不能から抜け出すには行動と結果の随伴性を学ぶこと

前回の記事の続き。

 

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そういえば人生最大のコントロール不能事件は中3のときだったなと思い出しました。

クラシック・バレエをやっていましたが、中2くらいからスランプに陥り、腰も痛め、父が単身赴任することになり、なしくずしにやめました。

 

やめたときの経緯を思い出すと、バレエに向き合えなくなって腰痛、父の単身赴任となったときに、母のスイッチが突然入って、「これはもうやめなあかん。私が先生に言ってくるから」と言って、母が先生にやめると言いにいって、そのまま先生にも会わずにやめました。

 

自分で納得してやめたわけではなくて、強制終了みたいな形だったので、半年くらい抜け殻のようになりました。

今考えるとその前後で確かに私のバレエ人生は終わっていましたが、終わっていたということを自分で納得させるだけの時間が必要だったように思います。

 

私の母や姉は、わりとこういうことをやる人で、突然スイッチが入って動き始めます。

スイッチが入ったときには、こちらの意思はお構いなしに動きます。

わりとこちらが弱っているときが多いです。

しかし、いつスイッチが入るかは読めません。

こちらからするとランダムな反応です。

そして、私が望むことは割とよく忘れます。

授業で使っている参考書を見た限りでは、こういうアトランダムな反応は、不適切な養育に入るのでは?という気がします。

客観的に見ると非常に恐ろしいことではありますが、客観的な記述と合わせて自分の生い立ちを見ていくことは必要かもしれないと思ったりもします。

 

泣いてばかりいた私に対して、母は「いつまでメソメソしとんねん」的なことを言いましたが、これも大人になった私からすると、「お母さん、それNGワード!」って感じですね。

抜け殻になってるときにキツいことばを浴びせたらよけい抜け殻になりますがな。

 

 

という状況を経て、本当に立ち直ったのは、大学受験のときかなと思います。

センター試験の結果が良くなかったので、志望していた国公立には受かるわけがない。

しかし、中3のときのグダグダはもう経験したくなかった。

高3の自分からすると、「ダメだった」という結果ははっきり出しておくべきだと感じました。

「やったけどダメだった」という事実を残しておかないと、「あのときこうしていれば」的な迷いの森に入り込むかもしれないと思ったのです。

 

結果として私立大学に行きましたが、大学院にも行って、研究室のメンバーとはまだ付き合いがありますし、人生全般では悪くない選択だったと思います。

 

行動したら結果が伴う。

 

当たり前のことではあるのですが、それが分からなくなったときにコントロール不能に陥るのではないかと思います。

なので、コントロール不能になったときには、行動と結果の随伴性を学ぶ/学び直すことで、コントロールする感覚を取り戻すことができる場合が結構あると思います。

 

コントロール不能に陥っていないか

当比主閲子さんのブログをときどき読みます。

読んだ内容については「うんうん」とうなずくことが多いのですが、珍しくもやもやが残ったのでなんなんだろうなーと思ったので、自分自身の整理のために書いてみます。

 

読んだのはこちら。

 

topisyu.hatenablog.com

 

最初に言っておくと、もやもやしたのは当比主閲子さんの記事そのものではなく、ツイッターの短い文言に対してでした。

そのため、元のツイッターまとめについてで書いても良かったのですが、それだと「燃えるゴミの日が分からない」に関する男女のやりとりに突っ込んでいきそうな気がしたので、冷静に書かれている当比主閲子さんの記事をリンクさせていただきました。

 

何がもやもやしたのかなーと思ったら、

 

離婚された

 

という文言に対してでした。

 

 

離婚経験者ですが、私の中では「離婚した」であって「離婚された」という感覚はありません。

離婚というのは双方の合意によるというのが当たり前すぎて、「離婚された」という感覚がよく分からないです。

どちらかが切り出したというのはありますが、切り出した側が「離婚した」で、切り出したが側が「離婚された」というのはしっくりこないです。

結婚は双方による共同運営であるので、その運営をお互いに解消するという合意をするのが離婚という感覚です。

 

もしかしたら一方から離婚を言い渡されそのまま本当に離婚ということがあるかもしれません。

しかし、そういう結末に至る過程があるので、「なんで離婚されたか分からない」ということってあるのかな、というのが正直なところです。

あるんだろうとは思うんですが、どうも想像がつきにくい。

 

ツイッターを投稿した方も、知り合いになった男性が「なんで離婚されたか分からない」ということしか分からないでしょうし、又聞きの又聞きのような形で知った私が分かるわけもないんですが、

 

それにしても、

 

なんで離婚されたか分からない

 

と漏らしてしまう状況に立ち至ることは、人生においてあまりいい状況ではないなという気がします。

 

 

人生を健康に進めていくにあたり、自分の状況をある程度コントロールできていると感じていることは非常に大事だと思います。

 

コントロールするというのは、何でも自分の思い通りに進めていくということではないです。

自分の予想通りのこともあれば予想通りでないこともありますが、どういう状況であっても自分で選べている感覚です。

 

自動車を運転するのが上手い人は、ゆったり座ってハンドルを軽く握って状況に合わせてスムーズに動かしていきます。

道路の運行が自分の思い通りになる訳ではありませんが、その場その場で微調整しながらスムーズに進めていく感じです。

 

 

離婚というのは非常に大きな決断ですし、離婚に至るまでに膨大なエネルギーを使います。離婚を決め手からも膨大なエネルギーを使います。結婚・離婚から離脱するにも膨大なエネルギーを使います。

 

離婚自体は自分の行いと相手の行いの相互作用やそれ以外の要因が交絡して起こりますので、自分の意志だけで決められるものではありません。

どちらか一方は離婚したいしもう一方は離婚したくないけれども離婚した、あるいは双方とも離婚したくはなかったけれども離婚したということもあるかもしれません。

積極的に離婚しようということではなくても、状況として離婚せざるとえなかったので離婚したというケースも沢山あるのではないかと思ったりします。

 

しかし、不本意であったとしても、離婚せざるを得ない状況に立ち至った時点で、その状況を引き受けて人生やっていくしかないという面はあります。

 

 

私自身がこういう考え方をする性質なので思うだけかもしれませんが、

 

「なんで離婚されたか分からない」という文言をみたときに、自分で選択している感覚が感じられなかったのでもやもやしたんだと思います。

離婚という人生において大きな契機になるイベントを相手に委ねているような状態で、しかも、その理由が分かっていない。

燃えるゴミの日が分かっていないというのも合わせると、もしかしたら結婚生活の回し方自体も相手に委ねていたのかもしれません。

 

 相手の自由にさせているのだという言い方もできますが、相手との関係における選択権を放棄しているともいえます。

自分の選択権を放棄して相手の好きにしてください、自分自身は文句をいいません。というのであれば、それはそれでいいかもしれません。

しかし、「なんで離婚されたか分からない」からは、自身の選択権を放棄したわけではないという思いも感じます。

自分の意思に反して離婚されたという感じです。

 

離婚の前後は、濁流に巻き込まれてどこにたどり着くか分からないという面があります。

だからこそ、必死で顔を上げて、どこに行き着こうとしているのか、どのタイミングで濁流から抜け出すかを見極めようとすることが必要です。

手が届きそうな枝があるか、陸地や屋根がないかどうかを伺いつつ、出来る限り体勢を整えることが必要です。

 

 

「なんで離婚されたか分からない」という文言からは、濁流の中でまるっきりコントロールを失ってしまっている感じがします。

コントロールを失ってしまったら、何年経っても離婚の濁流から抜け出すことはできません。

 

ということをツイッターの数十字から思ったのでした。

これはあくまで自分自身の整理であって、ツイッターに書かれた方の実情とは違っているかもしれませんということはお断りしておきたいと思います。

大学に入るまでに身につけてきて欲しいこと

大学に入るまでに身につけて欲しいのは、個人的にはただひとつです。

 

それは、

 

3つのことを同時に考えられるようになって欲しい

 

それだけです。

 

たとえば、保育系の学生だと、

 

  • 科目で学ぶ知識。私の場合だと発達心理学
  • 自分の経験
  • 子どもの姿

 

です。

 

もうちょっと一般化すると、

 

  • 自分が関わることになる分野の枠組み
  • 自分の経験
  • これから参入する予定の現場の姿

 

って感じでしょうか。

 

これがあると、

自分の経験について、これから参入する社会に合わせた見方ができ、地に足ついた将来展望が持てるようになります。

 

逆にいうと、これらが揃わないと、自分がやっていることが面白いとも思えず、やっつけ仕事になったり、意欲をなくしたりします。

 

大学に入ってから3つのことを同時に考えてっていうのはちょっと難しくて、3つのことを考えられることを前提で大学教育が成り立っていると思っています。

 

3つのことを同時に考えられるというのは、形式的操作ができるようになってくる中学校あたりから可能になってくるのではないかという気がします。

そのあたりから、試行錯誤でいろんな経験を積んで考える素地ができていれば、大学では過ごしやすいと思います。

 

 

 

 

人生すべての局面において肯定的応答に基づくシナリオで動く

夜爆睡していたらふとあることに気づいて起きる、ということがちょこちょこあります。

 

この間もそういうことがあって、私にとってはすごく大事なことに気づいたことに気づきました。

 

数年前の離婚の一側面として、生まれ育った家の持つ、否定的な人生シナリオを捨てると宣言することがあったのでした。

 

交流分析の本を読んでみると、私たちは人生のシナリオを持って生きているといったことが書いてあったりします。

読み返していないので、用語および用法がおかしいかもしれませんがご容赦ください。

 

人生最初期のシナリオは、家族からおそらく家族から受け継がれたもので、かなりの影響があると思います。

私の家のシナリオはかなり否定的なものでした。

 

相手から肯定的な応答が得られない場合は、否定的な応答を得ようとする、無視よりはまだマシだから、ということも交流分析の本に書かれていたりします。

私の家の人たちは、肯定的な応答が得られるとは思っていなくて否定的な応答を引き出そうとします。

そのため、相手に対して憎まれ口を叩くことが非常に多いです。

 

私もそういう面がありましたが、外に出ると肯定的な応答を沢山もらったので、あるときから肯定的な側面を人生に取り入れるようになりました。

 

結果、

 

  • 外では肯定的なシナリオを使う
  • プライベートでは否定的なシナリオを使う

 

という感じで内と外で違うシナリオを使っていたのではないかと思います。

 

この気づきはかなり重要でした。

2,3本前に、離婚の原因は今となっては性格の不一致、激しいところが出過ぎるということを書きましたが、結婚生活というのはプライベートの塊なので、否定的なシナリオを使いまくったわけです。

おそらく、相手も同じようなに、やはり外では肯定的なシナリオを使い、内では否定的なシナリオを使う人ではなかったかと思います。

そのため、プライベートが出始めた頃からおかしくなって、傷つけあって終了ということになったのだと思います。

 

こういう対人関係は繰り返すまいと思っていますので、プライベートが否定的応答に基づくシナリオで回っているのは非常にまずいです。

また同じことを繰り返すかもしれないし、人を巻き込むのもイヤ。

 

このことはうっすらとは分かっていて、プライベートはほぼ人にも会わずにひきこもりのような状態でした。

 

そして、

 

外では肯定的応答の権化のような人として活動し、内では人生の棚卸しをしつつ家事や健康増進によって自分に対する肯定的な見方を増やしていったのでした。

 

ここ数年、外と内とは完全に切り離していましたが、このたび爆睡して起きてみると、ひとつに統合されているようでした。

 

気づいたのです。

 

人生すべての局面において肯定的応答に基づくシナリオで動く

 

のでよいことを。

 

私が最も欲していたのはこれでした。

 

この数年かけて手に入れたともいえるし、生まれてから45年かけて手に入れたともいえます。

 

2011年からブログを書いていますが(はてなブログ以前は現在非公開)、ごちゃごちゃ書いていたのはこのためだったのかと思いました。

 

 

 欲しいものが手に入ったので、もしかしたらこれで最後の記事になったりするかもしれません。

日常のたわいもないことをぼつぼつ書いているかもしれません。

現時点ではちょっと読めないんですが。